しあわせは、技術である

実家の母が懐かしいものを保管していた。今は亡き夫が取り上げられている朝日新聞の「ひと」欄のスクラップ。2007年の記事。

本を出してカンヌ広告賞を取ってさらに次へ次へと、いい意味でガツガツしていた若い彼。病気になる前。その人に憧れ、追いつきたくて一所懸命だった若い自分。いろんなことが思い出されるけれど、夢を見ているような、映画を見ているような思い出しかたで、まるで自分のことのような気がしない。いつものことだけど。

日本に帰省して、若き彼と若き自分を知る友人たちに会うと、あれは夢ではなく、映画でもなく、本当に自分の人生だったんだとしみじみするのもいつものことだ。

同時にやっぱり全然違う自分として会っているような気もする。あの時、わたしは夫と共に一度死んで生まれ直したんだと。いま、生まれ直した自分として、死ぬ前から仲良くしてくれていたみんなと会っているんだと。

夫を亡くしてもうすぐ7年。いまだから言えるようになったとも思うが、一度死ぬ前と一度死んだ後を比べると、前もしあわせだったけど、後はもっとしあわせだ。

もしかしたら夫もそうだったりして。自分だけがしあわせだと後ろめたいからそう思いたいのかもしれないけど。

わたしが死別の喪失体験を通して学んだ大きなことは、しあわせか、しあわせでないかは、起こる出来事や周りの環境とは関係ないということ。

しあわせは感じるものだとよく言われるけれど、感じかたというのは性格や感性だけではなく技術でもあって、その気になれば意識的に鍛えられるのだ。

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