じゃあね。またね。

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Tokyo Skytree. Photo by Fay

空港に向かうバスを見送る列の中に大泣きしている幼い女の子を見かけた。状況から察するにお正月に遊びに来ていたおばあちゃんとお別れするのが悲しくて泣いているようだった。

自分も小さな頃はそうだったなぁ。

なんであんなに悲しかったのか、いまではもう正確には思い出せないけれど、日常と違う楽しい時間が終わってしまう寂しさや、もう会えないかもしれないという不安があったのだと思う。

もう会えないかもしれない。

考えてみたら、いや、考えてみなくても、ひとつひとつの「バイバイ」にはそれが今生最後のお別れになる可能性はいつだってある。

そこを意識して、毎回、今生最後みたいな気概で会って、別れるときは永遠にさようならをする気持ちでバイバイ…と、やれたら理想だけど、そうすると毎度毎度の「バイバイ」がいちいち一世一代の出来事になって、あの幼い女の子みたいに涙の別ればかりになってしまいそうだ。

わたしは誰かと「バイバイ」するとき、これが最後になる可能性があることを受け入れながらもあえて「また会える」と信じて別れるようにしている。もっといえば、「また会えると信じる」と決めて、別れている。だから、「バイバイ」や「さようなら」より、「じゃあね」「またね」を好んで使う。こういうのは夫を亡くしてから特に意識するようになったことだ。

「また会えると信じると決めた」から、次に会ったときには○○をしようね、なんていう約束も積極的にする。

もしへたに約束なんかしちゃって、本当に最後になっちゃったら、約束を果たせなかったことへの後悔が残らない?

この回答は人それぞれだと思うけど、わたしはもし約束を果たせなくても、その約束を叶えることがお互いの夢なり希望なりになって、離れている間もときどきそのことを考えて互いのことを思い出して微笑んだ時間があったなら、それでいいと考える。いや、むしろ、それがいい。

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