無駄話に無駄はない

朝、コーヒーショップのレジで注文をするとき、”Do you have any fun plans today?”と聞かれた。
サンディエゴでは店員さんから通りすがりの人まで見知らぬ人に声をかけられることは珍しくなく、コーヒーショップでは”How is your day so far?”などとはよく聞かれるが、「今日は何か楽しい予定はあるの?」というのは初めてで、ちょっと驚いた。
聞いてきたのは若いかわいらしい女の子。きっと私の予定なんて、本当はたいして興味がないはず。ただ、彼女なりに愛想よく接客しようとする努力が、この質問になっただけだと思う。
けれど、もちろん、悪い気はしなかった。
今から10年以上前、抑うつ状態になってアームカットがやめられず、心療内科で抗うつ薬と睡眠薬を処方してもらっていたときのことを思い出した。
医師に、どんなときにアームカットをするか問われて、会社が休みの週末が多いと答えたら、もし気力があれば週末は実家に帰るようにとアドバイスされた。
別に家族に今の状況を話す必要はないけれど、近くに誰かがいて、なんやかんや話をしてくるとそれだけで結構気がまぎれるから、と医師は言った。無駄話ってよく言うけれど、無駄話は無駄じゃないんですよ、と。
私はサーフィンが大好きなのだが、「サーフィンが大好き」の中には、海に入ったり波に乗ったりするだけじゃなくて、ラインナップや駐車場でいろんな人とくだらない話をする時間も確実に含まれている。
意味があるか、とか、生産性があるか、で考えたら、おそらく意味も生産性もあんまりないほうに分類される時間。でも、なんだか心を満たしてくれる時間。
亡くなった夫が最後の数日間に話してくれた思い出話は、ほとんどが無駄でバカなことやたわいないことだった。「懐かしいなぁ、あいつの結婚式の余興で、あいつケツ出したんだよ」とか、「お父さんとサッカークラブに通った、あの時間が好きだったなぁ」とか、そういうこと。
サーフィンなんて生産性のなさの代表みたいなもので、来た波に乗り、また戻って波に乗る、というだけ。これって犬のボール投げみたいだといつも思う。ただえんえんと投げたボールを取りに行ってまた戻ってきてボールを投げて取りに行くのを繰り返すだけ。
でも、サーファーも、犬も、そのとき、その瞬間、「なんかしんないけど楽しー!!!」って、幸せに細胞を震わせたことが、きっと意味のあることなんだ、とも思うのだ。