個人メディアの時代のその先
Blogからはじまり、FacebookやInstagram、Twitterまで、一般の人が自分の体験や経験や意見を気軽に発信ができるようになって久しい。
まがりなりにもマスコミの世界でプロの発信側としてキャリアをスタートした自分は、インターネットが普及したことで、「素人」が「裏付けも何もないこと」を「無責任」に「発信」するということに危機感を当初は感じていた。
けれど、ある時点から、これはもう大きな流れのひとつで、抗えないものなのだと気づいた。
もし、神の計画とか、宇宙の意思があるとしたら、個人メディアの発展を望んでいるとしか思えないと。
これまで、マスメデイアの時代には、良くも悪くも、情報はメディアが取捨選択して発信していた。だから、メディア側の成熟が求められていた。
でも、個人メディアが台頭した今、情報の取捨選択をするのはメディア側ではなくなく、むしろ、受け取り手なんだろうと思う。とすると、これからは受け取り側の成熟度が求められるとも言える。
どの情報に接して、どの情報には接しないかも、自分で選べる時代。これまでの世界を基準に考えると、ちょっと危険で怖くも感じるけれど、それが神の計画なり宇宙の計画なのだとしたら、はたしてその抗えない状況をどのように活用することが望まれているのだろう、という方に注目をしたいと思うのだ。

昔はよかったと思うのは簡単だし、いつかよくなると願うのもいいけど、いつだって今が一番よい、最善の状況であるはずだ、とあえて仮定して考えてみるのも面白いものだ。