命日反応
命日反応というのか、夫を亡くした後、この時期は、なぜか元気が出ない。というか、よく考えればもともと2月は比較的元気の出ないことが多い月であった。だから、夫の命日が2月になったことで、命日反応といういい言い訳をしているだけかもしれない。
それでも今年は軽やかだわー、命日反応が久しくないわー、と思っていたら、それは突然、当日に、きた。風邪なのか、風邪でないのか、雨のせいか、気圧のせいか、新月が関係あるのか、とにかく体が重くてダルい。気分が晴れない。
彼と過ごした最後の1日が何度も脳内にリピートされる。
あれができたかも、これができたかも、という罪悪感はない。彼がいまここにいれば、という気持ちもない。でも、ただ、ひたすら、具合が悪い。
そして、これを書いているわたしは、この後、この文章を、前向きな締め言葉で終えることができそうにない。
いつも思うのだけど、闘病する人や、それを見守り看病する人、見守ったあげくに喪失を体験するまでの物語はフィクションでもノンフィクションでも多くあるのに、誰かを亡くした後、その喪失から立ち直って元気になった人を追っかける物語は少なくないか?

わたしは、最愛の人を亡くした人たちが、どのようにして、その喪失を自分の人生に織り込み、新しい人生を織り始めたのか、その後の物語が知りたい。
その後、生き残った彼女は、末永くしあわせに暮らしましたとさ、という物語を読みたい。
君が書けばいいじゃん、と夫から言われる気がする。
生き残った彼女は、その後、たくましく、ずぶとく、末永く、楽しく、しあわせに生き延びましたとさ。
私は、そういう物語を、選ぶ。夫がそのほうが喜ぶに違いないなんてきれいごとは書かない。誰でもない、自分のために、選ぶ。