ピンチからの脱出
久しぶりに仕事でピンチを味わった。
自分が徹夜して原稿を書けば何とかなるという類いのものではなくて、相手に動いてもらわなきゃいけないので自分だけがんばってもどうにもこうにも進みようがない。でも、相手に急いで動いてもらわなきゃいけないはめになっているのはタイムマネジメントミスという自分の落ち度ともいえて、強く出られないので、祈るばかりという状況。
ところが、最近は、こういうときこそ、宇宙の法則の実験のチャンスだと思えるようになった。まず、「ピンチ」と感じている、そのエネルギーをどうにかせねばならない。そのエネルギー状態では同じ「ピンチ」のエネルギーと同調してピンチの現実が具現化されるばかりである。
まず考えられるエネルギーチェンジは気分転換。つまり、何か別のことをして自分のフォーカスを変えること。
しかし、一度、心拍ドキドキのこの状況になると、ちょっとやそっとの気分転換では気分は変わらない。デスクを離れて深呼吸しても「もし間に合わなかったらどうしよう」とぐるぐる考えてしまって気もそぞろになる。
その場を離れて気分を変えることが効果的な場合もあるのだが、今回はダメであった。
こういう場合は、この「ピンチ」における最悪の状況は何かを考えてみる。今回のケースでいえば、原稿を落とす(掲載しない)ことはできないので、最悪の場合は、取材に応対してくれた皆さんの最終確認と合意を得ぬまま記事が世の中に出ることだ。
最終確認と合意を得ない状態で世に出ると言っても、内容的には良くも悪くも世間にものすごくインパクトを与えるものではない。読者に間違った情報を与えることになるというものでもない。だから、考えられる悪いことは、取材相手から内容が不本意であるとお叱りを受けること。
と、ここまで考えると、「あ、最悪のことが起こったとしてもその程度か」と冷静になれる。「その程度」というのは、考えようによっては失礼なのだが、こちらとしては最初に取材の意図や目的を話し、了承をいただいた上で、聞いた内容を原稿にしているのだから、最終確認&合意を得ずに印刷に回したとしても、著しく失礼だとは思えない。
ここまでくると、ようやくエネルギーが変わってきている。心拍ドキドキはほとんどなくなって、「ピンチ」を感じている状態からは少しだけ心地良い状態に移動することに成功している。
こうやって自分のエネルギー状態をワンステージずつアップしていくと、あら不思議、勝手に皆さんから「確認した、OKだ」というような返事が届き始めて、問題解決、みたいなことが起こるかというと、起こらない(笑)。
ただ、自分が落ち着きを取り戻しているので、「自分の落ち度なのに相手を急がすことは申し訳ないなんて言っていないで、素直に頭を下げて急いで確認してもらって合意してもらおう」と自然に考えられるようになる。
結果、とんでもない図々しさで、大急ぎの確認と、やや強引な合意をお願いすることになったのだが、この時点ではわたしの状態はもはやかなり前向きであったので、皆、本心はどう思ったかはわからないけれども少なくとも寛大に対応してくれて、結果的にはきちんと確認&合意を得たものを印刷に回せた。
全てが終わってみると、そもそも私は「相手に負担を強いるのは悪い」ということを言い訳にして、その実、自分のタイムマネジメントが欠如していたことが露呈するのがいやだったんだなぁということもわかる。
でも、じゃあ、反省するかといえば、そうでもない。次はこんなハラハラしないでいいようにやろうと思うのみ。これは問題点を見つけて改善しようとする反省とはちょっと違う。改善するべき悪い点にフォーカスしないで、望むべき方向にフォーカスを置く。
なーんてことを、きっと人はもっと若いうちに仕事で身に付けるんだろうなぁ。わたしは会社員にならず、フリーランスで、好きなこと、得意なことしかしてこなくて、嫌な状況からはさりげなく逃げてきたので、今になって学んでいる。
好きなことや得意なことしかしなくていい、嫌なことはしなくていい、というのはある角度から見れば本当だけど、なりたい自分があるとしたら、今この瞬間はちょっとチャレンジング(つまり不得意)と感じたとしてもやってみる方が楽しいことはいっぱいある。私にとって会社員生活はまさにそれ。仕事というよりも人間力みたいな点においてものすごく成長させてもらっている。
なりたい自分があるというのは、ありのままの自分らしさを受け入れていないことではない。なりたい自分というのは、本来の自分という大きな湖の底にあるのに、まだ引き出せていない自分なのだ。自分らしさというのは、自分のなりたい自分であること、あるいは自分のなりたい自分であるように生きることの中にあるんじゃないかな。最近はそんな風に考えている。