いつかの海、いつの日かの海
朝5時30分。海に向かうために家を一歩出たところで、冷たい空気の中にやわらかな湿気が混じっているのを感じた。春の気配。
7年前、2012年の2月の今頃は、夫を亡くした悲嘆の最中にあったはずなのだけど、正直なところ、当時どんな心境でどんな風に暮らしていたのか、今となってはどうにも正確には思い出せない。友人たちから「こんなこと言っていたよ」と聞かされると、「ああ、そうだった、そうだそうだ」となって記憶の断片は出てくるのだが、その断片を手繰り寄せても全体像にたどり着かない。友人たちから聞くかつての自分が言ったという言葉も、はて本当にそんなことを考えていたのかと現実感に乏しい。
でも、よくよく振り返ってみると、これは悲嘆に限らない。少なくともわたしの場合は。
たとえば中学生の頃のことを思い起こしてみても、はたしてどんな心持ちでソフトボール部にあんなに心身を捧げていたのか、自分のことなのにさっぱりわからない。
こういうとき、いつも細胞は一定周期で総入れ替えされるという話を思い出す。
あのときの細胞はもうわたしの体にはひとつもないのなら、あのときのわたしといまのわたしは似て非なるもの。とすれば、記憶が自分のことでないかのようにあいまいなのも自然ではないかと。
それでも、時々、ひょんなことから引っ張り出される記憶というのがある。たとえば、今朝、冬の中に入り込んだ春の空気に触れて蘇ったのは、鵠沼に引っ越した9年前の2月、今頃だ。
春めいた陽気のある1日に、せっかく海の近くに引っ越したのだからとビーチに繰り出したら、とんでもない強風で砂嵐。海が身近になるまで考えたこともなかったが海辺は遮るものが何もないから風に吹かれっぱなしで寒いこと寒いこと。夢見た海辺の暮らしの現実をいきなり突きつけられてほうほうのていで逃げ帰った、ある午後の記憶。
逃げ帰ったわたしを夫は家でニヤニヤしながら迎えてくれた。そうなること、(この町で育った)俺は、わかっていたよ、と言わんばかりに。
思えば、海に恋したのは、そのときだったかもしれない。みんなが知っているヒーローみたいな夏の海とは違う顔を見て、もっといろんな表情を見たいし、知りたいと思った。夫はさも海のことを知っていそうなのが悔しかった。
わたしがサーフィンを日常的にやるようになったのはその年の夏のことだ。
夫がいないと海に出られなかったわたしは、今は一人でも平気で(しかも車で!)海に行くわたしとなって、あの頃は出会っていなかった人たちと、あの頃は住むことになると想像もしていなかったカリフォルニアで波乗りを続けている。

そしてまた何年か後になって、はてあの頃はサンディエゴで何を考えてどう暮らしていたのか思い出せぬと言っているんだろう。
なんであれ、そのときのわたしが笑っていればいい。いまのわたしは笑っているから、過去のわたしもそれで満足であろう。
未来の自分は笑っていることがどこかでわかっていたから、泣いたりもがいたり、たいしたことでないという風にしたり、いろいろ試行錯誤しながら生き延びてきたような気さえする。