進化とか成長とか
元Happyちゃん(って元プリンスみたい)こと、 Sachi。(さちまる)さんは、世界はエネルギーであるってことや、自分が世界であるっていうことを、体感として気付くための実践方法を教えてくれた人だ。
彼女の活動内容がどんどん変わってきている現在でも、私はInstagramなどでその動向を常にチェックしている。特に今、彼女は私にとっては身近なお隣の都市、ロサンゼルスに短期ダンス留学をしているので、海外在住日本人としては、彼女が海外で、西海岸で、どんな人やものごとと出会い、何をどう感じるのかをリアルタイムで共有してくれるのが面白い。
そんな彼女のInstagramでは、今朝、3週間前のダンスクラスの状況と今のダンス動画が投稿されていた。
それを見た、私の最初の正直な感想は、「うまくなった、けど、やっぱりまだまだできていないこともいっぱいだわね」。
ははは、何様だっていう話だ。でも、そう思ってしまったのだから、正直に告白したまでである。
しかしである。その後、他の人の投稿を見ているうちに、ふと、また気になって彼女の投稿に戻りたくなったのである。たぶん、私の中の私がそうさせたのだと今はわかる。
もう一回見ても感想は変わらなかったんだけど、今回はその投稿についているコメントに目がいった。そこで衝撃を受けた。みんな、あれができるようになっている、これができるようになっている、と、ちゃんと「できるようになったこと」を褒めていたのだ。
つまり、私は、「できるようになったこと」に全然目を向けていないのだと気付いたということ。
これは彼女に対してのように見えて、その実、自分に対してそうだってことなのだ。
人は鏡だっていうけど、その人はその人としてあるだけ。その人をどう見るか、その見方のベースにあるのは自分の思考だということだ。その思考がある限り、誰に対しても同じことを感じる。誰に対してもっていうのはもちろん自分に対してもだ。
それで、そういえば、サーフィンも、「まだあれができない」「まだこれができない」って、できていないことにフォーカスしているなぁと気付かされた。
できるようになったこともいっぱいあるのにね。

そもそも、何かできなかったことができるようになったことを進化とか成長とか言うけれど、はたしてそうなのかっていうことさえ怪しい。
できないことが、できるようになった、という結果よりも、できるようになりたいと思って生きる、その過程を続けることが人生と言ってもいいのかもしれないとも思う。
そしたら、できていないことについていちいちがっかりしないどころか、できるようになったことにさえとらわれなくなって、心はどんどん自由になるね。