大きな流れは小さな風穴から
ほんとうにまあ、ぼんやりしていると、だいたいうっかり自分を見失っている。
この1週間ほど、元気はなくはないけど、なんとなく自分の中心に自分がいないというか、スカッとしないモヤモヤがあった。心の声をいろいろ聞くのだけど、やりたいことが出てこない。出てこないのでなんとなく流されていると不満はないけど、自分と繋がっているときの、明晰な、スカッとした、あの感覚がなくてちょっと苦しい…。
で、「やりたいことが出てこない」というのはわたしにはちょっとした黄色信号なのだ。これって、知らぬところで自分が拗ねはじめたときなの。心の声を聞く→それを行動にする、ということを両方していない、もしくはどちらか片方だけでもしないことが続いているという合図なのだ。「どうせやりたいって言ってもやらないじゃん」と。
こういうときは、もう「やりたいこと」を出すことは難しいので、「やりたくないこと」をあぶりだすことにしている。
もちろん、ずっと「やりたくないこと」について考えていたら、そっちにフォーカスがいってしまうので、「やりたくないこと」が出てきたら、じゃあ、「それについてはどうしたいか?」を考える。漠然と「何がやりたいか」だと出てこなくても、「これはいやだ」とポイントが出てくれば、「そのポイントについてはこうしたい」という具体的な欲求が出てきやすい。
今回は工事中のキッチンがブレイクスルーのポイントとなった。キッチンが思うように使えないからこのところ買ってきた総菜や外食が続いていたのだけど、もう飽きて嫌だと思っているのに「工事中だから仕方ない」ってあんまり何も考えずに続けていたことに気がついた。もうさすがに外食も総菜も嫌だ。
じゃあ、どうしたい? うーん、とはいえキッチンが万全な状態じゃないから手の込んだ料理を作るのは嫌だ。洗い物もままならないし。でも、オーブンを使った野菜のローストとか、刺身を買って来るとか、手間のかからない料理ならできるし、それは気分が晴れそう。
というわけで、それを実行したら、本当に不思議なんだけど、それだけでモヤモヤが少しずつ晴れていくんですねぇ。

小さな扉が開けばしめたもの。そこからはまた流れに乗っていきやすい。
大きな流れは小さな風穴から始まる。大きな物事を動かしたくてにっちもさっちもいかないときほど、小さなことを見逃していないか、確認するようにしようと改めて思った。