イルカのこと

今日サーフィンで波待ちをしていたとき、イルカが数頭、沖を泳いでいるを見かけた。そのこと自体はたいして珍しくないのだけど、最近わたしはイルカになんともいえない縁を感じていて、テレパシーで話してみようと思って、「こっちに来て。遊ぼ」と念じてみた。

そしたら、イルカがこっちに向かってきた。これはその場にいたサーファーも認めたことで、イルカの背びれがまっすぐ自分たちに向かってくるのを見ることはあんまりないと皆、興奮気味だった。

けれど、すごく近くまではやってこなくて、ある一定の距離まで来たら、イルカは北へと方向転換した。「こっちこっち」と言われたと勝手に解釈して、わたしは自分がいた場所からちょっと沖、そして北へとパドルした。

イルカはしばらくそこにいたんだけど、それ以上近寄ってくることはなかった。わたしもこれ以上追いかけるのはやりすぎかなと思ってその場で止まっていた。

するとどうでしょう。サイズも形も、今日一番の波が、わたしのいるところに入ってきたのです。

これまでここに波は立たなかったから、誰も波待ちをしているサーファーはいなかった。つまり、わたししか乗る人がいない。

もちろん、乗りました。

インサイド(岸寄り)で、誰も乗らないこぼれ波を狙うことはよくあるけれど、別にシークレットスポットでもなんでもない、たくさんのサーファーがいるブレイクで、沖から割れるセットの波で、ピークから乗れ、しかも両隣にパドルをしている人がいない、という状況はまずめったに起こらない。でも、今日起こった。

わたしは、なんでも不思議にしちゃうのが好きなので、これ、イルカが誘ってくれたんだと思うことにする。そして、これからもちょっとイルカとおしゃべりしてみようと思う。

しあわせになるのは義務だ

ああ…。いまの物質世界の常識とは異なる新しい常識、つまりは宇宙の法則とやらを活用してこの先の人生を生きてみたいというのがわたしの願いである。そして実際実験中である。であるのに、変わらない現実に焦って、結局、いまの常識の中にある解決策を探していた、ということに気づいた。

いまの常識の中にある解決策、それは「行動する」こと。Aという地点が見えているなら、それに向かって進むこと。

でも、宇宙の法則は違うんだった。Aという地点が見えて、それにわくわくしたとしたら、その現実はもうどこかで生まれている。あとは、そのAという地点が見えたときエネルギー状態をどれだけ維持できるか。維持していたら勝手に共振して、それがある現実が現れる(自分が移行する)。

えー、そんなの、本当? という疑いはわたしにはなくて、「そうなんですよ」と誰かに押し付ける気もない。ただ単純に宇宙の法則がそうであるならそれを体験して生きてみたい、というだけ。体験できなかったところで失うものなんてなくて、いまの現実が続くだけのことなんだから。

わたしにはしあわせになる権利がある、のではない。わたしにはしあわせになる義務がある、のだ。わたしだけじゃない、生まれてきた人間は全て。そのくらいの気概でいかないと。

創造的な人生とは

ライフコーチのセッションを受けることに決め、そのための事前質問シートに回答しているうちに、自分の掘り起こし作業が進んでいる。

じつは自分にはこんな願望があったのかということがわんさか出てくる。そういう願望があったことは人生のどこかの段階で自覚はあったが、いつのまにかすっかり忘れていたなぁというようなこと。

自分の願望が、今生で成し遂げたい魂の願いであったら、願望と違うことをしていると、どこかの段階で「(それに気づくための)嫌な出来事」として浮上する。

これまでは、そうやって何かが起こると自分の本音に気づいて、「これに気づくために起きたんだ。よかった。めでたし、めでたし」とやってきた。おかげで少しずつ自分自身の本質に近づいてきた、あるいは魂と仲良くなれるようになった。

でも、今回さらに気づいた。

そもそも嫌な出来事が発生する前にちゃんと自分の魂と仲良くして願望を自覚して意図して作っていくことが、創造的な人生なんだ、と。

問題が起きてから対処するのでももちろんいいけど、そうでないうちにやれたら、そんな楽しいことはないものね。

まあ、しかし、こういうのも段階があって、いろいろ経たから、そう思えるようになったとも言えましょう。

昔、心療内科で抗うつ薬を飲むことをためらっていたとき、先生に言われた言葉を思い出した。マイナスの状態から自力でプラスにするのは大変だけど、薬の助けを借りてゼロくらいになったら、あとはきっと自力でプラスにできる。その言葉は少なくともわたしにとっては本当で(その言葉を信じたから本当になったとも言える)、薬を飲み始めたら、ようやくカンセリングを受ける気持ちになれ、そこからもろもろがあってどん底から脱した。

マイナスのときは、まずゼロをめざす。ゼロにたどり着いたら、次はプラスへ。一足跳びではいけないし、いく必要ない。そう考えると、まずはいまのどんな自分も受け入れることがスタート、なんだろうね。

ライフコーチのセッション前

夢に日付を入れてから何かが動き出したみたいだ。いや、夢に日付を入れようと「ふと」思った、そのことからしてもう動き始めていたわけだから、どこがスタートと断定するのは難しいし、どこから始まったと明確にすることにはたいして意味もないだろうけど。

とにもかくにも夢に日付を入れてわかったのは、ぼんやりしていたら何もやってこないだろうということであった。いや、その表現は的確でないかな。細かく言えば、「意図を明確にすることなくいままでと同じ暮らしをしていたら、夢を現実化するにはえらく時間がかかりそうだ」ということがわかったのだ。

何かを変えねば! そこでひらりと降りてきたのが、コーチングのセッションを受けるというアイデアだった。

実は、知り合いにライフコーチを生業としている方がいて、その方の発信する内容が好きで、ずっと気になっていた。その人のライフスタイルも憧れであった。ただ、「一人でできるもん」という誰に対してだかわからない見栄もあって、その方のセミナーやセッションについては遠巻きに見ているだけだった。

しかし、である。ここへきて、わたしは心屋仁之助さんのブログを通じて、本田建さんの『きっと、よくなる』という本の存在を知り、さっそく購読して読んでみたところ、あの本田健さんにもメンターがいることを知ったのである。そして、心屋さん自身も、メンターとは書いてはいなかったが本田建さんのことをロールモデルのようにしていたらしいことをブログから感じた。つまり、みんなちゃんと師とする人がいるのだ。「一人でできるもん」なんてやっていると時間がかかるばっかりだ。師になるような、メンターになるような、そういう人の力を借りていいじゃんとようやく思えたのだ。

そもそもサーフィンのプロだって、ちゃんとコーチをつけているもの。他人の目や手を借りることを拒む理由なんてないよね。

まあ、そう思えたところで、でもどうしようかなぁ…と相変わらずうじうじしていたのだが、翌朝の通勤ラッシュで目の前にいたトラックに書かれていた標語が「ACT!」だったことで「とりあえず連絡だけしてみよう」とようやくAct(行動)に移せた。

実際のセッションはもう少し先なのだけど、その前に「本質的な話ができるセッションにするために」と事前に渡された質問表を埋めていく作業だけでも、かなりのコーチングになっているという衝撃。わたしは自分自身について、また自分のこれまでや現在、未来について、ずいぶん考えているほうだと思っていたが、そっちの観点から見たことなかったなぁという質問がたくさんあって、自分1人ではまず見つけられなかった見方で自分を再発見(再定義)していっている。

同時に、「何かを変えたい」「やりたいことはある」「夢に日付を入れた」と言いながら、具体的で明確なイメージはまだまったくなかったんだ、そりゃ、実現しないわい、ということがよくわかった。「何かを変えたい」というのは現状に不満があるからなのだが、その不満の本質的なものがどこにあるのかも、このシートに答えていくだけで自分なりに見えてきた。

わたしはたいそうわかりやすい夢を見るので、この質問シートと向き合って寝た昨日は、水をたたえた深く暗い洞窟に船で入る夢を見た。

洞窟の壁にはヘビかウツボみたいな気持ち悪い生物がいてわたしは気味が悪い。けれど女性の船頭さんは元気で威勢よく、この先は明るいとばかりにぐいぐいと漕いでいく。船には何人かの同乗者がいて、そのうちの一人の男性は洞窟の水の中にあえて落ちて遊んでいて、「危ない」とわたしはハラハラしている。その登場人物、全部が自分なんだってよくわかった。

気味の悪い生物は直視したくなかった自分の潜在意識の何か。ポジティブ過ぎるほがらかな船頭さんはハイヤーセルフ的な、一段大きな自分であろう。怖がらずに遊ぶ男性は、憧れて、出してあげたい自分自身の部分。船に乗ることを決意したものの、周りのものにおそれおののいている夢の中の自分が今の意識の自分。

…ああ、シートに記入するという過程だけでもこうなんだから、セッションしたらどうなるのだろう!? 

とりあえず、ACTした自分をねぎらいつつ、この先のジャーニーを楽しもうと思う。わくわく。

シンクロに気づくか気づかないか

先日、夢に日付を入れたことによって、当面、わたしがめざすのは、「さまざまな場所にあるサーフリトリート施設、もしくはサーファーのゲストハウスを旅して歩くこと」と明確になりました。

すると、どうでしょう。おもしろいことに、突然、「今日今からごはん食べない?」という誘いが相方のもとへ。集まるのはサーファー、しかも、わたしから見れば「世界を旅してサーフィンすること」を叶えているサーファーたちばかり総勢5人。「ああ、データをダウンロードしろってことね♡つまり宇宙は応援してくれている♡」とわたしの気分はただ上がりでございました。

これがまた不思議なことに、その日は平日だったけど相方ともども用事があって仕事を休んでいたのです。普通ならその時間、相方はまず家には帰れず、相方の知り合いが多いその会合に、相方なしではわたしは行かなかったと思うので、たまたま休んでいてラッキーでした。

しかもしかも、用事はあっというまに終わったので夜はわたしは太極拳のクラスに行ってもよかったのです。でも、あんなに大好きな太極拳なのに、「なんとなく」気が乗らなくて休むことにしていたという偶然も重なりました。

相方も仕事の休みを取っていた、と、わたしは太極拳に行かなかった、この2つがそろわなければ、急な誘いには顔を出せなかったのです。これだから、「なんとなく」を信じて行動するのは、楽しい。

まあ、別に、旅するサーファーたちとごはんを食べたからといって、いますぐわたしの生活が旅するサーファーになるわけじゃないのですが。でも、それを実現している人たちと共振したということが第一歩なんですねぇ。いや、知らないけど、そうばかみたいに信じることがきっと大事だとは思っています。

つまり、シンクロとか宇宙のサインとかって、そう思わなければそうじゃないし、そう思えばそうなるってこと。夢を叶えるために動きはじめているんだと信じれば、動き始めているという証拠を見つけられるし、信じなければそう考える根拠は見つけられない。つまりは、ばかみたいに信じてみる、が先なんですね。

信じても信じなくても人生は起こることしか起こらない。そう思ったら、信じたほうが楽しいなと思うわけです。一度、自分に問うてみるといいですね。「わたしは何を信じたいか?」

夢に日付を

「夢に日付を」というのはよく聞くことだけど、実際にちゃんとやっていなかったなぁと気づいた最近。

自分がこの人生においてやってみたいと毎度ぼんやり思うことは大きく3つある。ひとつは旅して暮らすこと。もうひとつはリトリート施設を運営すること。もうひとつが終末期医療のスピリチュアルケアみたいなことに関わること。

でも、どれかを目指すと、どれかは諦めなきゃいけないと思い込んでいて、ではひとつに絞るならなんなのかと問うと答えはでなくて、結局どれに対しても動き出すことなく、目の前のやれることだけやってきた。

それでも、やっぱりやりたいなぁとなんども脳裏にちらつくので、ちょっと頭を整理してみた。

整理してみたら50歳くらいまでは旅して生きて、50歳から60歳になるくらいまでにはリトリート施設をやって、60歳を越えたらリトリート施設の実質的なことは人に任せてオーナーだけになって、自分はスピリチュアルケアをやればいいじゃんと、同じ人生で全てできなくないと初めて思えた。頭がいい人はこれ、自然ときっとやっているのね。わたしは整理ができなかったために悶々と無駄な時間を過ごしてたわ(笑)。

サーフィンとヨガと太極拳と物を書くことは、どの時代も通して続けていくことというのもクリアになった。

目指すことがクリアになると心が軽くなる。たぶん、エネルギーが向かう方向が定まるからだと思う。向かう方向が定まらないのは疲れるし、停滞するのだ。もちろんそういう時期があってもいいのだけど。

まあ、クリアになったところでね、いまはビザというかアメリカ滞在ステータスを確固たるものにするために、しばらく旅はできなさそうな現状だし、リトリート施設をやりたいって言ってもなんの元手も経験もないわたしが50歳になってやりたいからやれるのかっていうとそりゃーわからない。でも、宇宙を信じてみる(笑)。

とりあえず、アメリカ国内をプチトリップすることはできるし、自分が目指すようなサーフリトリート施設的な小さな宿を旅すればサーフィンもできるし情報もダウンロードできる。夢に日付を入れたおかげで、「本当にこれに絞って進んでいいの? スピリチュアルケアはやらないの?」という疑問を抱くこともない。

ここにこれを書くことで、自分に宣言してみた。叶う叶わないはわからないけど、考えているとわくわくするから、とりあえずそれでいい。ふふふ。

200ドルと美容院

美容院でカットとカラーをしてもらい、チップを入れたら支払い合計が200ドルを越えて、おっとなった。ざっくり計算すれば日本円で2万円くらい。美容院でこのぐらいの額を使うのは5年前、日本を飛び立つとき以来だなと。

渡米は一人で、研修ビザを取ってきた。研修だからお給料は日本の新卒社員くらい、あるいはそれ以下だった。もちろんそれを承知で来たので文句はない。ただ、その給料の2/3は家賃に消える暮らしで、貯金を切り崩して生活していたので、必要最低限のもの以外にかけるお金はなかった。

髪とか洋服はもっとも最初に節約するエリアで、美容院へはアジア系の安いサロンに半年に1回通えばいいほう。ほとんど自分で切っていた。それが、5年経って、また再び美容院で200ドルを気兼ねなく支払える日がくるとは。そこにちょっと感動して、しみじみしてしまった。

そもそも渡米直後はクレジットカードも作れなかった。日本ではどんなに優秀なクレジットカード利用者でも、アメリカにおける信用は蓄積されていないから、いちから信用を作り直しなのだ。車のローンだって対応してくれないローン会社がいたり、対応してくれても割りが悪かったり、いちいちめげることの連続だった。

留学などで大学生としてやってきて、そのままアメリカに残ったような世代であれば、「まあそんなものかな」ともうちょっと柔軟に受け止められる気がする。でも40歳だったわたしは、日本ではそこそこ信用を築き、人並みに生きていた自負があったので、アメリカで突然、人並みの生活ができなくなり、どこで何をしても「自分は何者でもない」と改めて思わされることは、なかなか打ちひしがれる経験であった。

でも、おかげで、ああ、わたしは何者でもないんだな、と40代で振り出しに戻れたのは、わたし自身にとってはいいことだったと思う。

日本でがんばってきた名刺の肩書きは、ところ変わればなんの威力もない。なにか威力を発揮できるとしたら、いまのこのわたし、わたし自身の中にしかないということを実際に体験できたことはよかった。

ゼロから自分の居場所を作り上げるために毎日が精一杯で、亡くなった夫を思い出して泣くことは、もしかしたら日本に残っていたよりは少なかったんじゃないだろうか。泣いてる暇はないというのは大げさだけど(泣いた日もたくさんあったから)、生活になじむために、やらなきゃいけないことがたくさんありすぎて気が紛れたことは確かだ。

意識はしていなかったけれど、わたしの内にある大きなわたしは、きっとこうやって新しい土地で生きることが自分のグリーフにも魂の成長にもいい体験になると知っていて、わたしを渡米へと突き動かしたのだろうと思わずにいられない。

ありがとう、わたし。ありがとう、宇宙。そんな気持ち。