闇を認めて、光を見る
野村訓市さんのファンなのだが、彼が誕生日に投稿したInstagramのポストが素晴らしくて、またさらに好きになった。
“thank you for your birthday mails. Now I’m 46, who said that age is just a number? My back is aching and I can’t bend my knees. But we can still drink and have fun”
僭越ながら要約すると、「誕生日のメッセージありがとう。46歳になったけど、年齢はただの数字に過ぎないなんて言ったの誰だ? 背中はいてーし、ヒザ曲げられねーぞ。でも、まあそんなんでもまだ飲めるし、楽しめるね」。
年齢はただの数字。よく聞く言葉で、実際そうだと思ってもいるのだけど、一方でやっぱり年を重ねるなりの心や体の変化はあって、それを受け入れないで「年齢はただの数字だから気にしない」というのはちょっとカラ元気というか、無理があるなぁとも常々思っている。
闇の存在を否定して光だけしか見ないんじゃなくて、闇があることは認めて、その上で光を見る。そのスタンスが「背中は痛いし、ヒザは曲げられないけど、まあ、それでも飲めるし楽しめる」という言葉に表れていて、好きだなぁと思ったのだ。

わたしは日本人である。今年で45歳になる。できるようになりたいと思ってできるようになったこともあれば、できていないこともある。この先、別にできなくてもいいなと思うこともあれば、できるようになりたいと思い続けていることもある。若い頃にはできたのに、今はできなくなったこともありそうだ。いいところもあるし、あんまり好ましく思っていないところもある。
そういう今の自分をいったん全部受け入れてみる。
受け入れているつもりでいて、じつはカラ元気や無理になっていないか。気づいたときに時々見直してみるとよさそうだ。