ライフコーチのセッション前
夢に日付を入れてから何かが動き出したみたいだ。いや、夢に日付を入れようと「ふと」思った、そのことからしてもう動き始めていたわけだから、どこがスタートと断定するのは難しいし、どこから始まったと明確にすることにはたいして意味もないだろうけど。
とにもかくにも夢に日付を入れてわかったのは、ぼんやりしていたら何もやってこないだろうということであった。いや、その表現は的確でないかな。細かく言えば、「意図を明確にすることなくいままでと同じ暮らしをしていたら、夢を現実化するにはえらく時間がかかりそうだ」ということがわかったのだ。
何かを変えねば! そこでひらりと降りてきたのが、コーチングのセッションを受けるというアイデアだった。
実は、知り合いにライフコーチを生業としている方がいて、その方の発信する内容が好きで、ずっと気になっていた。その人のライフスタイルも憧れであった。ただ、「一人でできるもん」という誰に対してだかわからない見栄もあって、その方のセミナーやセッションについては遠巻きに見ているだけだった。
しかし、である。ここへきて、わたしは心屋仁之助さんのブログを通じて、本田建さんの『きっと、よくなる』という本の存在を知り、さっそく購読して読んでみたところ、あの本田健さんにもメンターがいることを知ったのである。そして、心屋さん自身も、メンターとは書いてはいなかったが本田建さんのことをロールモデルのようにしていたらしいことをブログから感じた。つまり、みんなちゃんと師とする人がいるのだ。「一人でできるもん」なんてやっていると時間がかかるばっかりだ。師になるような、メンターになるような、そういう人の力を借りていいじゃんとようやく思えたのだ。
そもそもサーフィンのプロだって、ちゃんとコーチをつけているもの。他人の目や手を借りることを拒む理由なんてないよね。
まあ、そう思えたところで、でもどうしようかなぁ…と相変わらずうじうじしていたのだが、翌朝の通勤ラッシュで目の前にいたトラックに書かれていた標語が「ACT!」だったことで「とりあえず連絡だけしてみよう」とようやくAct(行動)に移せた。
実際のセッションはもう少し先なのだけど、その前に「本質的な話ができるセッションにするために」と事前に渡された質問表を埋めていく作業だけでも、かなりのコーチングになっているという衝撃。わたしは自分自身について、また自分のこれまでや現在、未来について、ずいぶん考えているほうだと思っていたが、そっちの観点から見たことなかったなぁという質問がたくさんあって、自分1人ではまず見つけられなかった見方で自分を再発見(再定義)していっている。
同時に、「何かを変えたい」「やりたいことはある」「夢に日付を入れた」と言いながら、具体的で明確なイメージはまだまったくなかったんだ、そりゃ、実現しないわい、ということがよくわかった。「何かを変えたい」というのは現状に不満があるからなのだが、その不満の本質的なものがどこにあるのかも、このシートに答えていくだけで自分なりに見えてきた。
わたしはたいそうわかりやすい夢を見るので、この質問シートと向き合って寝た昨日は、水をたたえた深く暗い洞窟に船で入る夢を見た。
洞窟の壁にはヘビかウツボみたいな気持ち悪い生物がいてわたしは気味が悪い。けれど女性の船頭さんは元気で威勢よく、この先は明るいとばかりにぐいぐいと漕いでいく。船には何人かの同乗者がいて、そのうちの一人の男性は洞窟の水の中にあえて落ちて遊んでいて、「危ない」とわたしはハラハラしている。その登場人物、全部が自分なんだってよくわかった。
気味の悪い生物は直視したくなかった自分の潜在意識の何か。ポジティブ過ぎるほがらかな船頭さんはハイヤーセルフ的な、一段大きな自分であろう。怖がらずに遊ぶ男性は、憧れて、出してあげたい自分自身の部分。船に乗ることを決意したものの、周りのものにおそれおののいている夢の中の自分が今の意識の自分。
…ああ、シートに記入するという過程だけでもこうなんだから、セッションしたらどうなるのだろう!?
とりあえず、ACTした自分をねぎらいつつ、この先のジャーニーを楽しもうと思う。わくわく。