直感を信じることの効果
本田健さんが、直感で動くことのいい点は、判断するまでに悩む時間を減らすことであって、直感が「当たる」「当たらない」ということは気にしていない、という話(こちらの投稿)にいたく感動したのでさっそく真似して実践中。すると今日、また気づきが訪れた。
今朝、出社前にサーフィンに行くとき、どのボードを持って、どのブレイクに行くか、ちょっと迷ったのだが、直感で決めた。ところが、選んだブレイクは駐車場が工事のために封鎖されていた。この5年間一度もなかったことである。駐車場以外の場所に車を停めて海に入ればいいと思って場所を移動して崖の上から波をチェックしてみたが、潮が引きすぎていて、あまりいい波ではなかった。しかも、よりによって手持ちの中で一番長くて重いボードを持ってきてしまったのでそれを持って崖をくだってまで海に入りたくはないなぁ、ということになった。
本田健さんの話を聞く前、つまりこれまでなら、「あー、判断間違えた〜」となって、「潮の満ち引きにあまり影響されないもうひとつのブレイクに行っていたら入れたかも!?」とか、「せめてもう一本の軽いボード持ってきたら入れたかも」とかごにょごにょ考え出して、自分が直感でくだした判断を恨みそうなところだったが、今日は、直感で選んだことが最善だって意図したんだから、なんか知らんけどこれが最善なんだろうと無理なく考えることができた。だから、イライラもしなかったし、判断を間違ったのではないかと自分を責めることもしなかった。
それで、やることがないので早めに会社に行ってメールを開いたら、わたしの大好きな作家がうちの情報誌で連載を持ってくれる話が進んでいるという上司からの連絡が入っていた。ひょー!
その作家先生と自分とでは住んでいる世界が違い過ぎて、出会えるまでにまだ時間がかかりそうと思い込んでいたけれど、そうでもないんだ、と気分が上がった。
続いてプライベートのメールを開いたら、移民弁護士から「アメリカ滞在ステータスに関する必要書類が全部そろったのでサインしに来て」というメールも届いていた。これはこの先、何ステップもあるいろいろな手続きの最初の一歩でしかないのだけど、考えてみれば、アメリカにい続けたいと思っても、その最初の一歩の手続きさえできない人もたくさんいるのだ。わたしは恵まれている。
これらのことが、冒頭の直感の話とどう関係するかというと、わたしがいちいち「直感が当たらなかった〜」と自分のエネルギーを下げなかったことがポイントということ。
エネルギーが下がっていないから、起こっている出来事の中から、同じエネルギーの部分を見ることができ、自分にとってより良い現実を引き出した。つまり、最善が起こっている、ありがたい、という現実。
無理矢理ありがたいと思おうとしたんじゃない。そういうエネルギー状態だから自然にそう思えたのだ。
もし自分の直感が当たらなかった、サーフィンできたかもしれないのにやれなかった、というところに自分の気持ちがあったら、同じ出来事に出会っても、違う側面に共鳴していて、目の行くポイントが違ったはずだ。
たとえば大好きな先生の連載が決まったという話だって、「でもわたしは担当じゃないし、結局接点なさそうだし」とか、「本当は個人的に出会いたかったのに会社という縛りの中で出会うことになるとは」とか。
アメリカ滞在ステータスの件だって、考えようによっては、まだまだ何個もあるステップの最初の一歩というだけだから、「全然進んでない!」とだって言えるのだ。
でも、わたしは今回は全部ありがたく受け取った。これは、すごい。
最近、よくわかったのだけど、あらゆる感情や思考やいろいろは形になっていないだけで常に全部同時に存在しているのだ。けれど、自分が認識できる(形にできる)のは、その瞬間にフォーカスした一点だけ。どこにフォーカスするかは自分の意思で決められるけれど、実際には感情(エネルギー)と同調したところにフォーカスが当たる。だから、自分の意思と同じくらい、感情に注意する必要がある。
本田健さんのこの直感の話は、言い方を変えれば、常に最善なんだと世界と自分を信頼するということでもあるのだ。信頼しているからいい気分でいられるし、だから物事のいい側面のほうにフォーカスを当てられて、いい感じで回っていくという、しあわせに生きる知恵のひとつ。
こういうことをおしげもなく書いてくださっていることがありがたいし、そういうのをとりあえず信じてやってみるわたしも好き。ほら、いま、そもそもいい気分だから理由なき自己肯定感がはんぱない(笑)。