シンクロのとらえかた

シンクロ…この言葉ほどあいまいに使っているものはないのだけど、わたしは「偶然(に見えること)の中に何かしらの意味を見出せる」出来事だととらえている。
誰かのことを考えていたときにその人から連絡があるというのはわかりやすい例。なんとなくぼんやりと考えていたことが思いがけず(自分としては何もしていないのに)現実のこととしてやってくるのもそう。
そんなシンクロがここ数日続いていて、おもしろい。シンクロが続くと、この調子で、ぼんやり考えている「そのこと」は形になってもおかしくないと信じられる度合いが高まるから。
宇宙からの応援のサイン。
実際には、わたしがシンクロと感じているほとんどのことは、人によっては「そんなの全然シンクロじゃない」というようなことかもしれない。偶然と片付けることもできるし、その出来事と、ぼんやりイメージしている「そのこと」と結びつけるのはけっこう強引で、「無理矢理シンクロにこじつけている」と考える人もいるだろう。
でも、そこがポイントで、結局、自分で決めてるんである。これをシンクロと思うことにするか、しないか。そして、思った方が楽しいから、わたしは思うことに決めた、それだけ。
お世話になっている川尻先生もよく言うけれど、それが「合っているか・間違っているか」「正しいか・誤りか」っていう判断基準は、あるようで、ないのだ。
それが本当に正しいなんて誰にも決められない、いや自分で自分に対して決めることはできるけれど、その正しさを他人に押し付けることはできない。それがまかり通るなら、その人の正しさを押し付けられたとき受け入れなきゃいけないという話になる。
だから、「正しい・正しくない」で判断する世界から飛び出す必要がある。多様性を受け入れるというのはそういうこと。
ただ、全てはまず自分から、なんだな。自分の正しいを、自分が受け入れたとき、他人の正しいを、その人の正しいとして受け入れられるのだと思う。
もっと言うと、自分がまったく知らないうちに自分を「正しい・正しくない」で裁いていると、他人も同様に裁くから(これを知らないうちに行っているから怖い!)、多様性の世界には飛び出せないということでもある。
でも、これからの時代、めざすのは多様性の世界、だよね。そのために始めるのはまず自分、なのだ。