アメリカ移住の経緯(1)

2014年の3月にアメリカに移住した。きっかけになったのは2012年の2月に夫を亡くしたことだった。

子どもがいなかったので、「とにかく子どもを育てねば」という状況ではなく、また夫のお父さんと二世帯住宅で暮らしていたので、そこにいる限りは家賃は発生せず、よって「とにかく働かねば(お金を稼がねば)」という状況でもなかった。

これはありがたいことなんだけど、おかげで、わたしは「では、この先の人生どう生きていきたいのか」を問われることになった。「せねばならない」がない中で、夫もいなく、はたしてわたしはどう生きていきたいのか、と。

答えはもちろん簡単には出なかった。そもそも最初の1年は何かをする気力がどこからも出てこなかった。たまにサーフィンをすることだけが楽しみで、この先もこんな風にサーフィンをして暮らしたいなぁというくらいしか願望はなかった。

フリーランスだったのでいくつか仕事の依頼をいただいて取り組んだけれど、とてもじゃないけど頭が回らなかった。夫と結婚したことをきっかけに、わたしは東京から鵠沼に移り住んで、ライターやコピーライターの仕事は減らし、アロマとハーブの店でアルバイトするのどかな日々に楽しみを見出していたので、彼が亡くなった後、また再び締め切りに追われる、あの忙しい日々に戻るのかと思うと気が滅入って、現実逃避のように旅行ばかりしていた。

親友の暮らすオーストラリアへの一人旅。心の友とのハワイ旅行。そして、ひょんなことから声をかけられたカリフォルニアの聖地、シャスタへの旅行。

いま思えば、夫が亡くなった後の1年間のうちにした3つの旅行は、どれも自分にとって意味深いものであった。しかし、極め付けはシャスタだったと思う。というのも、わたしはそこでアメリカに暮らすたくさんの日本人と会って、「そういえばわたしはいつか海外で暮らしたいと思っていたことがあったなぁ」と20代の頃の夢を思い出したからだ。

1年か2年か、いやできればもうちょっと長く海外で暮らしている自分…想像してみたら、夫を亡くしてから久しく感じていなかった「わくわく」がちょっとあった。行くならカリフォルニアだと決めた。シャスタに通いたかったからと、何かあったらシャスタで知り合った日本人の仲間たちに頼れると考えたからだ。

不思議なのだけど、カリフォルニアに行こうと決めたそのときは、シャスタの近くというのが希望で、サーフィンは諦めていいと思っていた。というのも、シャスタは北カリフォルニアなので住むならサンフランシスコになるだろうから。サンフランシスコでもサーフィンはできるけれど、とんでもなく寒いのでかなりハードコアになると知っていたので。

でも、まだ、このときは、どうしたらカリフォルニアで暮らせるのか、方法がわからなかった。当時、わたしはどんどん精神世界に傾倒して、自分の欲求を消し、与えられた環境を受け入れることが霊的な成長だと信じていたので、海外に暮らしたいという欲求に対して自分で何か動くということはせず、「もし、この願いを宇宙が許してくれるならば、チャンスをください」と祈るばかりだった。

そしたら、ある日、祈りの答えがもたらされたのである。

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