子犬が我が家にやってきた

亡くなった夫は犬を飼っていた。彼と結婚したことで、その犬はわたしの愛犬にもなった。我々は夫のお父さんの家を二世帯住宅にした2階に暮らしていたから、犬は1階に暮らす夫のお父さんの犬でもあった。

賢く従順で愛嬌のあるラブラドール。

渡米したことで、ラブの世話はお父さん一人にお願いすることになったが、じつをいうと、滞在ステータスが落ち着いたらいつかその子をアメリカに呼び寄せようと当初考えていた。けれど、ステータスが落ち着くことが決まった1年半後に一時帰国したとき、犬とお父さんの間に育った確かな絆を見て、諦めた。

愛犬はそもそもお父さんが好きだったので一緒にいるのはしあわせそうだった。一方、一人暮らしの70代のお父さんにとって大型犬の世話を全部まかされることは、当然楽ではないと思うが、犬のおかげで散歩が日課になったり、犬を通して近所の人との交流ができたりすることは、いい張り合いになっているように見えたし、お父さん自身もそう言った。

何より気立てのいい犬で、夫のトレーニングがすばらしかったこともあり、無駄吠えや引っ張りなどをすることはなく、お父さんを困らせるようなことはまずしない犬なのだ。

これでよかったんだ、と思った。いや、正確にいえば、これでよかったんだと思うようにした。というのも、愛犬のために日本に残るという決断をしなかったことについてはいつもどこかで心に引っかかっていたので。まあ、逆に言えば、お父さんという、犬がなついていて、しかも安心して世話を任せられる人がいたから、アメリカに来れたのだけど。

いずれにしても、わたしには小さな自責の念があって、だから、定期的に日本とスカイプをして、お父さんとお話をしながら、お父さんと愛犬がしあわせそうであることを確認しては「これでよかったのだ」と言い聞かせ、日本の愛犬が元気なうちはわたしは犬は飼わないのだと密かに決めることで、自分を納得させてきた。

ところが、である。かつて14年間育てた愛犬を、3年前に亡くした相方が、ここへきて、犬をほしがるようになった。彼曰く、通りがかりの犬を見つけてははしゃいで犬としゃべりたがるわたしを見ているうちにスイッチが入ったのだという。

「いつか、そのうち」とはぐらかしていたが、数日前、何の雑種かもわからない、いずれは殺処分されてしまう大量の子犬の数匹を救った人が里親を探していることを相方が嗅ぎつけた。その子の顔を見た瞬間、「出会ってしまった」と思ってしまった。そして、我が家に突如、子犬がやってきた。

子犬がきてまだ数日だが、しつけをしたり、トレーニングをしたり、犬を間に挟んで会話をしたりしていると、亡くなった夫と愛犬と暮らしていた日々のことが蘇る。それは、悲しいというのではなくて、あの小さなあたたかなしあわせを、いま、違う人と、新しい犬と再度構築しているという事実に対する感慨である。

違う犬を飼うということはわたしにとってグリーフのプロセスがまたひとつ進んだということでもあるのだと感じた。人はたくましい。

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