腹筋おじさん
車社会のアメリカ西海岸に来てからはそうでもなくなったが、日本にいた頃はよく人に道を聞かれたし、不思議な人に声をかけられることも多かった。
そのうちの一つが40、50代の男性に突然、「僕の腹筋を見てくれませんか」と言われたことだ。2015年に一時帰国したときの出来事で、わたしは40歳を過ぎていたので、うら若き乙女にちょっといたずらしようと思ったとは考えがたい。その男性は「僕、腹筋を鍛えていて、女性に褒められるとモチベーションが上がるから、見て褒めてほしいんです」と続けた。
場所は藤沢駅を出たところ。真っ昼間。人通りが少ないわけでなかったので危険度は低いと考え、「いいですよ」と答えたら、その人はおもむろにタンクトップをたくし上げ、腹筋を見せてきた。実際になかなか立派な腹筋だったので、「ああ、さすが、鍛えているだけありますね、立派ですね」と言ったら、「でしょ?」と彼は誇らしげにした。
その後、「あの、もしよかったらなんですけど…変なお願いだってわかっているんですけど…もしできたら触ってもらえませんか」と言ってきたので、「…触るのはちょっとできません」と正直に答えたら、男性は「ですよね」と笑って、速やかにタンクトップを下げた。そして「でも、見てくれて、褒めてくれてありがとうございました」と言って爽やかに立ち去っていった…。
あれはなんだったんだろう。いま思い出しても不思議だ。が、なかなか面白い経験ではあった。
なぜこの話を出したかというと、最近、地道な筋トレの成果が出てきて、自分の腹筋にスジが見え始めたことがうれしくて、見てほしい願望がでてきたからである。朝、相方に「見て」とTシャツをたくしあげて腹を出したわたしの姿に、あの日の男性が重なったのだ。あの男性を心の中で「腹筋おじさん」と呼んでいたが、わたしも立派な「腹筋おばさん」じゃないかと。
でも、あのとき、あの男性の腹筋を褒めたことが、まわりまわって、いま、相方に腹筋を褒めてもらうこととして巡ってきたのかもしれない。…なんて、どうでもいいことをちょっと大きな話にしてみた。