次のステージへ
たぶんちょっとした運気の切り替わりの時期なんだと思う。自分が満ち足りていることに気づいて、驚くほど気持ちが穏やかだ。「何かが足りない」だから「何かがんばらなきゃ」という焦燥感のようなものがなくなり、これまで熱心に読んでいたブログやSNSに前ほど共感しなくなって、いまはただ、つつましくあたたかな日々を思う存分、味わいたい、そんな気分。
亡くなった夫と暮らし始めた2010年の夏も、こんな感じだったなあと思い出した。
共に生きていく人がいて、すてきな住まいがあり、犬がいて、サーフィンがある日々。それまで東京で、コピーライターとしてなんとかいっちょまえに人に認められるようになりたいとがむしゃらだった自分は、コピーライターをがんばらなくても、仕事で認められなくても、自分にはちゃんと居場所があったということに拍子抜けして、最初はなかなか慣れなかった。でも、数カ月したら夏休みがきて、湘南で暮らす人として過ごす夏のすばらしさに触れたら、もう東京には戻れなくなった。
時々書いてきたことだけど、亡くなった夫と暮らした日々は、毎日が夏休みみたいだった。
実際にはそうじゃなかったこともたくさんあったとは思うのだけど、それでもわたしの記憶の中では、あの湘南での日々は、人生のご褒美のように与えられた夏休みだった。
夫が亡くなって、自分の意志でアメリカに来たけれど、移民というのは想像していた以上に大変なことも多くて、わたしの心の中にはいつも「帰りなくなったらいつでも帰ってやる」という気持ちがあった。渡米して最初の2年くらいは、実際にもう無理だと泣いて上司に退社希望を出したこともある。けれど、いつも最後のところで踏みとどまったのは、「わたしが恋しいのは夫と過ごしたあの湘南の日々であって、夫がいなくなった日本に戻ったところでそれが戻ってくるわけではない」と気づいていたからだ。
夫がいなくなった後、いつかわたしは元気になるんだろうとわかっていたけれど、それがいつかはわからなかった。たとえ元気になっても似たような暮らしはできないと思っていた。それが、いまや。

すっかり忘れていたけれど、数年前のお正月に「湘南にいたときのような暮らしをこちらで築いてみせる」とメラメラと決意したことを思い出した。あのときの決意がいま現実となっていることに、感謝があふれる。何に感謝していいかもわからないけれど、大いなる存在は、望んだものをちゃんと与えてくれるのだと。
自分がしたかったのはこの暮らしだ。そう思えるようになって、ようやく、わたしは自分が移民なんだという自覚が出てきた。これまではどこか「当面の暮らし」であったのだと思う。でも覚悟ができた。わたしは、アメリカで暮らすのだ、と(もちろん、この先、何がどうなって心境や状況が変わるかはわからないけれども)。