我が家の法律を決める
仔犬が来てからというもの、仕事のある平日の早朝にサーフィンをする回数が減った。そのかわりに寝ているかというともちろんそんなことはなくて、朝まだ暗いうちから仔犬と遊んでいる。
起きて一番はトイレの可能性が高いので、まず裏庭に出す。うちの裏庭の向こうはちょっとした丘になっているので、静かな朝に佇んでいると、どこか避暑地に遊びに来たみたいな錯覚に陥る。
先日は、コヨーテが悠々と横切っていくのが見えた。スカンクが狙われたようで、その後、強烈な悪臭が漂っていた。
鳥のさえずり。犬を警戒しながら、でもけっこう近くまで果敢にやってくる野うさぎ。明けていく空。遠くに聞こえる車のエンジン音。
そんな中、仔犬を見守りながら、コーヒーを飲む。好奇心とエネルギーの塊の仔犬は意外なものに興味を示したかと思えば、意外なものに興味を示さなかったりして、興味深い。
この3週間の間に、我々と仔犬は少しずつ互いを知って、ひとつの小さな「群れ」を形成しつつある。我々が望む「群れのルール」があるけれど、犬が望む「群れのルール」もあるだろうから、互いにどこまでが許されて、どこからが許されないかを決めていっている。我々と犬の間だけでなく、相方とわたしの間でもたくさんの話し合いがなされた。
相方とわたしは、40代で出会っているので、それぞれ独立しているパートナーが一緒に住んでいるという感覚だったけれど、仔犬が来たことで、ちょっと家族っぽくなったように感じる。それまでは互いに何をしても、いい大人がしたくてしているんだからとほとんど干渉しなかったが、我々がそれぞれ違う判断基準で仔犬と接することは仔犬を混乱させてしまうから、我々も何がよくて、何はやめよう、ということをきちんと言葉にしてルールを規定していっている。
たとえば、仔犬が今後接するのは圧倒的に英語が多いはずだから、我々もコマンドや犬に話しかけるときは英語を原則とする、とかね。
ルールを規定するというとなんだか堅苦しいけれど、つまりはうちの家族がしあわせであるためにみんなが守ることを、みんなで話し合って決めている、ということ。

地域や国の法律も、本当は「みんながしあわせになるためにみんなで決める」が民主主義の出発点なんだよなぁと改めて実感した。でも、なかなか理想通りにいかないのは「みんな」があまりにも多すぎるのかな。