仕事があってよかった ?
仔犬を育てることと、子育てを一緒にしては怒られると思うが、それでも仔犬を育てることで、世のお母さんたちの気持ちというのがほんの少しだけど今までよりリアルに想像できるようになったかもしれない。
たとえば、朝の散歩は朝に強いわたしが担当するから、夕方の散歩はよろしくね、と相方と約束したのに、結局、彼の仕事が忙しくて夕方に帰ってこられない。仕方ないのでわたしが散歩に出るわけだが、それでさらに夕飯を作るのもわたし、夕飯の片付けをするのもわたしかよ、という不満がどうしても出てくる。わたしだってフルタイムで働いているのに。朝家を出るのは相方より2時間も早いのに。
さらに不満に思うのは、こちらは留守番や空腹で興奮して世話のやける仔犬を落ち着かせ、我が家のルールを教え、てんてこまいで1日が終わりそうと言うのに、相方は全てが終わった頃に帰ってきて、お腹も満たされ運動欲も満たされておとなしくなった仔犬と接して「おー、よしよし」といいとこだけ取っていくことだ。
優しい相方に尾っぽを振ってすりより、はしゃいでいる仔犬を見ると、さっきまでしつけやトレーニングと思って仔犬に少し厳しくあたっていた自分が、なんだか悪いことをしていたような気持ちにさせられるし、「エサもやり、散歩もやって、結局、これか…わたしはいったいなんなんだ」という徒労感に襲われる…。
というようなことを経て、夫婦と子どもは家族になっていくんだろうなぁ。
おそらく、いま、自分の操縦席を仔犬に譲っちゃっているから、不満なりきつさが出てくるんだよな、とわかっているのだけど、誰かの手を借りないと生きられない、なのに言葉が通じない、けれど全力で自分の欲求を表現してくる小さな生き物を目の前にしたときに、その子を自分の操縦席に乗せないようにすることは、想像していたより難しい。
言いたいことがあれば言えばいいという相手じゃないし、放っておいてもなんとかなるという相手でもないので。いや、ほんとうは放っておいてもなんとかなるところをわたしががんばっちゃっているのかな。などなど、次のレベルのお試しがきているなぁ…。
ちょっと前「働くお母さん」をテーマに、一般の働くお母さんたちをインタビューした特集を担当したときに聞いた話を思い出した。
働きながらの子育てはいろいろ大変と思うが、何人かが「仕事があることで子どもと離れる時間があることは精神的に助けられてもいる」というようなことを言ったのだ。
それと同じことをいま自分も感じている。仕事があってよかった。まあ、仕事じゃなくてもいいんだけど、ようは、誰に(一番は自分にだけど)言い訳しなくてもいい逃げ道があることに助けられているということなんだろう。
仮説だけど、逃げ道があったほうがほっとする人というのは、わたしのように簡単に操縦席を譲っちゃうタイプなのかもしれない。操縦席を譲らずに子どもと接することができる人は、もちろん多少のストレスはありながらも、ずっと子どもと一緒にいることがそこまで苦でなくできるのかもしれない。なんてことも考えてみた。もちろん、みんなそれぞれで、何が正しくて何が違うという話ではない。どちらがえらいということでもないと思う。
まあ、なんであれ、わたしをしあわせにするためにしか物事は起こらないということはもう確固として思っているので、本当に不満で苦痛というのではなくて、単純に、はて、この状態の攻略の鍵はどこにあるのかしらと探っている感じ。さてさて、鍵はどこだろう。単純によく眠れたらそれでオーケーみたいなことだったりもするよね。