8.1.2019

テリア系の犬はこれまで飼ったことがないので、わたしにとってユパ(犬の名前)はいろいろ奇想天外で楽しい。子犬でまだ関節が柔らかいからかもしれないが、わたしから見ると15センチもないようなタンスの下の隙間にまるで猫のようにもぐりこんでしまう。出てこられなくなってクンクン鳴くのだけど、ここに入ったらそうなると学んだほうがいいと考えてしばらく様子見を決め込んでいたら自力でバックで出てきて、バタバタっと体を振って、何食わぬ顔でわたしの横にやって来た。

わたしが2階にいるときはだいたいそばにくっついてくるのに、突然1階に行って戻ってこなかったので怪しいと思って見に行くと、わたしの腰くらいの高さはあるエサ入れのフタを開けて中に入ってこの世の春とばかりに貪っていた。最初から1階で涼んでいたラブラドールのエリーが、2階から降りて来たわたしを認めて「ヤツはやってますけど、わたしは叱られるってわかってるから我慢してましたよ。わたしのことは怒らないよね?」というような顔つきで見ていたのもかわいかった。

日本で義理のお父さんと暮らしているラブラドールのオセロは、散歩中に松ぼっくりを見つけるとかぽっと咥えて、ガジガジと噛んで、ぽいっと捨てるのが好きだった。けれど、いつのまにかそれをしなくなったと気づいたのは夫が亡くなってからだ。ユパもいまでこそ毎日大変だけど、いまのようないたずら(本人にとってはいたずらじゃないだろうが)をいつのまにかしなくなるのだろうと想像すると、いまこの時期がうざったくても愛おしい。

1日1日が貴重である、同じ1日は二度とない、ということを、亡くなった前夫が病気のときはリアルに感じていて、だからこそ毎日全開で暮らしていた。彼が亡くなった後もしばらくはそうだった。でも、差し迫る理由がなくなったおかげで、少しずつその感覚を忘れていた。昨日より今日、今日より明日とわかりやすく成長する小さな生き物は、わたしにそれを思い出させてくれる。

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