8.15.2019

8月15日。お盆ということが関係しているのか、会社に向かう車の中で不意に脳裏にいつかの魔法陣のイメージが蘇った。

ハッピーちゃんがやっていた魔方陣に参加したときに見えたイメージ(ハッピーちゃんの魔方陣がわからない人はそのままスルーで大丈夫です)。みんなで地上に光の柱を立てるのだが、イメージの中で、亡くなった夫も、親友も、親友の亡くなった旦那さんも、夫のお父さんも、みんなものすごく楽しそうに笑顔で一緒に光の柱を立てていた。

そのイメージが蘇った朝、降りてきた言葉はこれ。「肉体を持たなくなった存在も、持っている存在も、それぞれのやり方で共に地上に光の柱を立てている」。

夫はもう肉体としてはいなくなってしまったけれど、今もわたしたちは同じ目的で生きている。生きているという言い方が違うとしたら、存在しているということにしよう。

じつは昨日ちょっとイヤな出来事があったのだが、それさえも、地上の光の柱を立てる一環なのだと声は言った。わたしが、生きる目的を、地上に光の柱を立てることに設定している限り、起こることも、とる行動も、持つ感情も、すべては光の柱を立てていることになっている、と。

「地上に光の柱を立てること」というか、地球を楽園にしたいというのが、わたしの願望である。というか、むしろ、しなければならないくらいの、よくわからない勝手な使命感でさえある。けど、もちろん「大それたこと言っておまえは何者なんだ」っていう自分は常にいる。しかも、日々やっていることと言えば取材して原稿書いて、いろんな人とやりとりして、っていうこまごまとした雑多なことで、起こることと言えば、あの人への対応どうしようみたいな現実的で小さなことで、地上に光の柱を立てている実感なんてありはしない。だから、もっとわかりやすく、地球の役に立てているってことをやりたくて仕方ないとどこかで焦っているんだけど、今日は声に諭された。

地上に光の柱を立てることを意図としている限り、人生に起こるすべてのことはどんなに下世話と思っても低俗と感じても何であっても地上に光の柱を立てることになっているのだ、と。

書いていて気付いたけど、そもそも、これは下世話だとか、低俗なことだっていうのもわたしのジャッジでしかないしね。

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