9.3.2019

誕生日の明け方に見た夢は、夫が死んでしまう夢だった。

厳密に言うと「じつは彼はひん死の状態でずっと生きていたのに、わたしは夫は死んだと思って放っておいたために、一人で死なせてしまった」という夢。彼が亡くなってから数年間はしばらくこのパターンの夢を見たが、今回は久しぶりだった。誕生日にその夢を見るとは何のメッセージか。

じつは今夜、カリフォルニアに仕事で来ているという夫の親友と会うのだが、そのために脳内で眠っていた何かが刺激されたのかもしれない。映画監督とかフォトグラファーとか、かつてのわたしの交友関係にはいっぱいいた“クリエイティブ”職の人たち。仲間でいられることがうれしかった憧れた人たち。いまの自分はその人たちと会話して何を感じるのだろう。

同じように夫を亡くした親友が、「これまでと同じものでは埋められない」と言っていて、その通りだなぁ、と改めて夫を亡くしてからの自分の7年強を振り返って思った。夫を思い出させるようなことから逃げて逃げて逃げて、地理的な意味でも、仕事や日常的に付き合う人といった意味でも新天地を探した7年。

でも、気がついた。「同じもので埋められない」というのは、じつは亡くなった人から離れているような言動に見えて、まだまだ近くにいるということでもあったんだ、と。「同じもの」というのは「その人がいたときと同じもの」ということであって、つまり基準はやっぱり「その人がいたとき」だから、その人なしでは成立しない。だから、ちょっと違った形とはいえ、夫の影響はずっとずっとわたしの人生にあったんだと。

彼の影響が、わたしの人生からなくなることはないと思うけれど、逃げ続けた7年から精神的な意味で脱皮するときなのかもしれないなぁと、朝の夢を分析してみる。わたしは、逃げ続けて見つけた場所で、根を張るんだ、と。

最初はただ逃げているうちに辿り着いたあたたかい場所だったかもしれないけれど、ここで根を張ると決めたのは逃げたいからじゃないのだ。自分がそうしたいと決めたんだ。

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