9.17.2019

細かな説明は省くけれど、印刷日程が1週間しか違わない2つの特集の編集をそれぞれ担当していて、当然、特集以外の連載担当もあるし、予定外に差し込まれる作業もあるし、いろいろなことの判断を細々迫られるしで、てんやわんやな9月である。
仕事が休みの週末は週末で、ありがたいことに来客や会合(まあ主にサーフィン系の)の予定がてんこもりで、うら若き私であったらこなせなかったスケジュールだろうなぁと今日しみじみ思った。
一般的に言えば40代になった今は20代30代の頃より体力が落ちているのだろうけれど、活動量はあの頃よりずっと多い(自分比)。あえて分析するとしたら、これは体力云々の話ではなくて、出来事に振り回される生き方から、出来事を主体的に選び受け入れる生き方に変えたからだと思う。
30代までの私は、まさか自分が出来事に振り回されて生きているという自覚は全くなかったんだけどね。でも、振り返ると振り回されていたから疲れていたのだとよくわかる。振り回されるというのは、要は他人軸であったということ。
主体性という言葉は知っていて、わかっているつもりだったけど、あの頃の私はやっぱりわかっていなかったんだ思う。主体的に生きていなかったから、対峙する人に合わせて無意識に自分を変えていたし、それゆえにどこに行っても何をしてもすぐ疲れていたのだ。亡くなった夫だけが、その生きづらさをわかってくれる、私の唯一の理解者と感じていた。
自分は主体的に人生を生きていなかった、ということに気づいたのは夫を亡くしてからだ。主体的に生きるということはどういうことか教えてくれたのは人や本、出来事などいろいろあるので、とてもひとつに絞れないけれど、一番は『7つの習慣』かもしれない。「重要でない緊急のこと」に追われて「緊急でないけど重要なこと」を後回しにしているということもこの本を読んで気付いた。
なんか、まとめがないのだけど、原稿を書きまくって脳ミソが疲弊していたので思いついたことを書いてみた。とにかく、自分でいうのもなんだけど、夫を亡くし、アメリカに来てからのここ5年の自分の人間的成長ぶりに、自分が本当に感動している。あの頃の私の唯一の理解者だった夫は今の私になんと声をかけてくれるであろう。「よくやったね」と言ってくれると思うことにする。