10.4.2019

まだ読んでいないので安易なことは書けないのだけど、わたしが日々サーフィンと筋トレと英会話学習と犬の教育に余念のないことをGoogleやAmazon.co.jpはよくご存知で、この度、「ハーバード式英語学習法」という本を推薦してきてので、まんまと乗せられて買ってしまった。というのも、そこに書かれていた「書けない英語は話せない」という謳い文句がまさに自分の思うポイントだったからである。
いきなり話は飛ぶけど、これサーフィンも同じ。サーフィンの動きを陸でトレーニングする「陸連」って、はたからみたら恥ずかしい動きだから、バカにしがちだけど、安定した陸の上でできない動きを、不安定なサーフボードの上でやれるわけがないのです。件の謳い文句に言い換えるなら「陸でできない動きはサーフボード上でできない」。
で、英語学習に話を戻すと、英会話の上達をめざすときにまず考えつくのがリスニングとスピーキングのスキルを磨くことなんだけど、リスニングとスピーキングができるようになっても英会話はじつは上達しないということにあるとき気づく。
というのは、英会話のつまづきポイントってスキルだけじゃなくて、もっとそもそもの部分にあったりするからだ。そもそもの部分とは何かというと、「話したいこと(もしくは話すこと)がない」というもの。話したいことがないんだから会話を膨らませようがないのだ。本の謳い文句にあった「書けない英語は話せない」というのは、ライティングの能力がないといけないという意味ではなくて、書き出せるくらい頭の中で整理されていないものは口に出てくるわけがないということだと理解して、腑に落ちたのだ。
「そもそも日本語でだっておしゃべり得意じゃないし、仕方ない」とそこで止まるのもまた本人の選択。ただ、わたしは夫を亡くしてからというもの、残りの人生は自分の持っているかもしれない能力を可能な限り引っ張りだして生きるのだととんでもなく鼻息荒く生きているので、「そもそも日本語でだっておしゃべり得意じゃないし、仕方ない」では終えたくない。その壁を超えた自分を見たい。そこで、この間受けたのが英語に限らない会話力の講座なんだけど(こちら)、これは本当にブレイクスルーであった。話したいことがなければ聞けばいいっていう(笑)。
それで、聞くことが心から楽しくなって会話が好きになったところで、はたと、いやいや、わたしだって話したいことを持っているじゃないか、と思い至った。それまでは自分が人の話に興味なかったから、誰も自分の個人的な話に興味なんかないっていう前提でいたらしい。話したいことがないわけじゃないけど、人に面白いと思ってもらえるような内容ではないから話すことがないと思っていただけだった。でも、人の話はなんでも楽しく感じるようになった今、自分のどんな話だって相手にとって面白い部分はあると思えるようになった。前提が変わるというのはまさにこのこと。
でも、この境地にはいきなりは辿り着けなくて、まずは人の話を聞いてみるという段階が必要だったんですね。わたしの場合は。最近、毎日、脱皮しているような気分。新しい自分がぺろんぺろんと出てきて楽しい。