11.22.2019

Mixed Media & Encausticの3回目のクラスで、アート作品を作ることは、文章を書くことと似ていることに気づいた。
どこが似ているかというと、予定していたことと違うことを思いついて、頭で考えていたのと少し違うふうになっていくことがあって、それこそが完成品を面白くするポイントになりえるということだ。
いまはコラージュのパートなのだが、急に「こうしたほうがいい」と思える箇所が出てきた。でも、それはもともと自分が決めていたテーマと少しずれるし、ナンセンスだ…それで先生に相談したら、先生もわたしが「こうしたほうがいい」と感じたアイデアに賛成だったので思い切ってその思いつきを施した。そしたら、作品から放たれる勢いのようなものががぜん変わった。
もしかしたら、多かれ少なかれ、創作活動というものがそうなのかもしれない。文章で言えば起承転結の「転」の部分。文章ではその「転」があると人を引き込む物語になると言われるが、コラージュもまた、この「転」を作ることで、作品がぐっとアートっぽくなると感じた。
ただ、動き出してみないと、この「転」は見えてこない。人によっては最初から「転」までイメージできているのかもしれないけれど、わたしはそうでないようだ。生業の一つとしている文章を書くことでも、書き始める前に大まかな骨子は決めているが、「転」の部分はあまり考えていない。個人的には、そこをあんまり最初から考えていては、「転」のようでいて、「転」にならないんじゃないかと思ったりもする。
動き出すことでひらめく「転」は、当初頭で考えていたことと違うから、戸惑うし、場合によっては「結」から遠のいてしまうのではないかと受け入れがたい。けれど、受け入れて、取り入れてみると、頭で思い描いていたよりずっと素敵なものになる。
この「頭で思い描いていたものと違う」ことは、創作だけじゃなくて、人生にもよくある。思い描いていたよりずっと素敵なものになるならいいけど、思ったより素敵じゃなくなる可能性もある。でも、その、予定していたのと違う部分こそが、この世で生きることの楽しい部分でもあるよな、そんなふうに思った。