11.27.2019

自分の心の奥の本音が、時々、受け入れがたいことを言ってくることがある。
この度のシャスタ旅行もそうで、ちょうどフライト&車で移動する日が、冬の嵐の警報が出ている最中にあたることがわかり、一瞬、「旅行を取りやめたい」と感じた。でも、次の瞬間、雪のシャスタを見たいし、サンクスギビングにシャスタに集まる仲間たちと会いたいとも思った。久しぶりに、どちらが心の本当の声かわからなくなった。けれど、少し落ち着くと「やめておいたほうがいい」と心が言う。このサンクスギビングというタイミングにシャスタに行くことやみんなと再会することは個人的にすごく意味があることだと思っていたので、「やめておいたほうがいい」という自分が受け入れられず、単なる弱虫なだけじゃないかと、この後、かなり悶々とした。
天気や道路状況を調べてみると、その時点では雪で閉鎖されている箇所があり、チェーン規制もあった。ただ、これは一時的なものだろう。警報は、わたしが実際に移動する日の午後まで出ていてるけれど、その翌日は晴れの予報なので、回復傾向にはあるはずだ。だから、空港に着いて北上できるところまでして、その街で一泊して待機すればたぶん行ける。同時期にシアトルやサンフランシスコからシャスタ入りする仲間たちにも連絡をとったところ、みんな、待機はありえるだろうが、中止することは考えていないようである。
けれど、よくよくニュースを見ると、わたしが帰る頃にもまた低気圧がきて、雪の予報である。たどり着けばあとは安心、というわけでもなさそう…。シャスタで会うことになっている仲間たちは雨や雪に比較的慣れていそうだけど、こちとら年間300日晴れているサンディエゴ在住。彼女たちと自分、運転の力量を同じに見積もってはいかん。これが海であれば、経験則で動ける気はするのだが、山、雪は経験値が低くて、正しい判断ができる自信がない。
ああ、でも、これも単なる恐れで、恐れを心底感じないくらいの心境になれたら絶対大丈夫ってわかるのに、なかなかそう思えない…とかなんとか、とにかく、こんな感じで2日間くらいずっとループ。最近はなにごとも直感で即決してしまってうだうだ悩まないことに慣れていたので、決めきれない自分にもまた苛立った。それくらい、やっぱりシャスタはわたしには大事なのだ。
ステイする予定の宿のおかみさんに電話まで悩んだが、「混乱しているときには何も決められないから、自分の魂に質問をしておいて、夢で答えをくださいと言ってみるといい」と言われ、そうだ、そうしようと決めた。そして夢でちゃんと答えをもらった(と思った)。ようやく心を決めて、キャンセルした。
夢は、事故にあうとか、恐ろしい目にあう、といった警告夢ではなかった。ただ、わたしはサンディエゴにいて、相方と犬と海で楽しく遊んでいた。実際にはサンクスギビング中はこちらも嵐で海は荒れていてきっと楽しくは遊べないだろうが、サンディエゴにいることを選びたいってことだと起きたときに思って決意ができた。
それでも、キャンセルをした後は、がんばれば行けなくはないのに、と自分を責める気持ちは残った。最終的には友達が乗せていってあげられるよとも言ってくれたのに。
でも、本当はどこかでわかってもいた。直感は、心の声は、最初の「やめておけ」だと。でも、みんな行くって言うし、大事なタイミングだし、自分だけがその仲間から弾き飛ばされることが嫌だったのだ。みんなが行かないとか道路がわかりやすく壊滅的だとか、「やめておけ」という声を肯定してくれる証拠を探していただけだ。でも、肯定してくれる証拠はなくて、それでも自分の声を信じるということが今回のチャレンジであった。
これで、「行かなくて正解だった!」と思える、わかりやすいことが起これば、めでたしめでたし、なんだけど、きっとそれはない。サンクスギビングの日は晴れて、無事に着いた仲間たちは雪がやんで晴れた白いシャスタの中にいて、わたしはきっと「がんばればわたしもこの中にいられたのに…」と感じる瞬間に出くわすだろう。けれど、そのうえで、わたしは、自分の声を信じた自分をほめて、「これでよかった」と自分を認める、ということをしてみたい。
さいわい、フライトは払い戻しはできなかったが、クレジットはできて、来年秋までなら同額分を次の旅行で使うことができる。みんなとこのタイミングで会えないことは寂しさいっぱいなのだけど、わたしのタイミングがあるんだと思うことにする。そして、行かないと決めたからには、サンディエゴで楽しい時間を過ごすのだ。