11.14.2019

亡くなった夫がまだ元気で、わたしの夫ではまだなくて、1年ほど音信を絶っていて再会した直後に、テリー・ギリアム監督『Dr. パルナサスの鏡』を一緒に見に行った。

確か六本木の映画館で、映画の後に、海南鶏飯食堂で海南チキンライスを食べた。食べながら、彼は「映画を見ながら、君の頭の中はこんなんなんだろうなって思った」と言った。

ああ、なんで、この人にはわかってしまうのだろう! なんでこの人はわかってくれるのだろう! と大感動したことが、また彼と連絡を取り合う直接のきっかけになったのだが、とにかくそうなのだ、わたしの頭の中はこんなんなのです。

このたび、アーティスト、スーザン・ウィックストランドのコラージュアートと出会って、彼女からコラージュ&ミックスメディアの手法を習うことができて、何がうれしいって、コラージュ(&ミックスメディア)という手法なら、わたしの頭の中にある世界を、わたし自身でアウトプットできると気づけたことだ。言葉を尽くしても伝えられなかったこと、でも絵では描けないし、写真でもうまく撮れないし、イラストレーターでもうまくレイアウトできなかったことが、コラージュならできる!!!

この先のことはわからないけれど、いまのところ、わたしの制作手法は、コラージュのマテリアルが先にあって、それらを組み合わせて作っていくというより、既にある程度完成像のイメージが頭にあって、それを実現できるマテリアルを探して組み合わせていくというパターンで、これが本当に面白い。言葉を喋れるようになって、感情を訴えられるようになった赤ちゃんってこんな気持ちなんじゃないだろうか。

しかも、きっと、「やるならプロレベルをめざさなきゃダメだ」という謎の思い込みがなくなってから出会うことが大事だった。特に何かを作るということにかんして、こだわりというか、素人でいたくないという、まったくもってよくわからないプライドが昔はあって、その頃だったら、こんな楽しくできなかったろうし、そもそも仕事にもしないでプロにもならないなら何のためにやるのだと、習い始めてもいなかったろう。

いまの相方もそうだけど、亡くなった夫はそれ以上にクリエイティブな人で、いつも新しい何かを考えてはそれを形にしていた。絵本や工作、言葉、Tシャツなんでもかんでも、仕事でもプライベートでもいつも何かを作っていた(そしてそのセンスは抜群によかった)。

当時から、わたしにも何かを作るのが好きという要素はあったのだけど、いかんせん絵心はなく、写真は好きだがどこにでもカメラを持っていくほどの情熱は維持できず、料理はするが気晴らしになるというほど好きとは言えず、裁縫は嫌いではないがやっぱり億劫で滅多にせず、切り絵というのは好きな世界観だと思って本まで買ったけど結局やらず、ぜーんぶ中途半端であったが、初めて、「これは好きだし、のめり込めるかも!」というものに出会えたような興奮が続いている。きっと亡くなった夫も喜んでいる、いやむしろ彼がそう仕掛けたんじゃないかとふと思うことがあって、それもうれしい。

11.13.2019

生後9ヵ月となった愛犬、ユパ。かわいいのだけど、かつて日本で義父とくらしている愛犬オセロと比べると圧倒的に写真に撮ってあげる頻度が低い。その理由は単に、わたしがあの頃より家にいる時間が少なく余裕がないからでもあるし、ユパは独特のワイヤーヘアでモヒカン&ヒゲ面で、そこが好きなんだけど、写真にすると映えないからでもある。あと、家が片付いてないせいで、せっかく写真を撮っても背景が気になり、ときめかない、というのもある。

だけど、いま現在の、子犬の時期ならではの成長や行動、それに対するわたしの心の動きは、やがていつか記憶からこぼれ落ちてしまうから、せめて言葉で記録しようとこれを書いている。

まず、寒くなったきたからだろう、最近、ユパは朝方に布団に潜り込んでくるようになった。それがまた、わたしの隣りにきて、器用に前足を使って掛け布団をあけ、頭から入ってくるのが面白い。で、胴体の途中まで入ったらお尻は出したまんまで眠るのだ。苦しくないのかと心配になるけど、苦しくないからやっているんだろう。ちなみに、そのとき、ユパの頭はだいたいわたしのお尻にある。なぜまたそんなところに…と思わなくもないが、そこが落ち着くのだろう。

それから、ここのところ、何かを訴えるときに吠えてもいいことはないと学んだようで、吠える代わりに、ハウス(ケージ)に入って、じっと見るという技を覚えた。これもある意味、要求の仕草で、毎回それに応えていてはしつけとしてはよくないのであろうが、なにせおとなしく「おすわり」をして、上目遣いでじっと見つめられるとママはついかまってあげたくなってしまう。

あと、トレーニングも地味ではあるが進んでいて、「おすわり(Sit)」と「ふせ(Down)」「待て(Stay)」の他に、「お手(Shake Hand)」と「回転(Roll Over)」を覚えた。回転した後におやつをもらえるので、たまにおやつが早くほしくて回転が中途半端になるときがあるのもまたかわいい。それから、スケボーにも乗れるようになった。まだ自力で漕げないけれども、「Place」と言えばボードに乗るし、そのまま「待て」と言えば、スケートボードが動き出してもじっとして乗ったままでいる。もちろん、その先にある、わたしが持っているおやつが目当てだけれども。

親ばか炸裂だけど、全体的に見て、頭はいい子だ。けど、いまのライフスタイルでは一緒にいる時間が圧倒的に少ない。これはわかっていたことだけど、やっぱり寂しい…とりあえず、来年は犬と一緒にいられる時間をもっと増やしたい。いや、増やす、と、決めてしまおう。

11.12.2019

先日、人生で初めてフィンレスサーフィンをした。フィンがついていないサーフボードで波に乗るという遊びで、通常のサーフィンと同じ波乗りであるが、当然ながらボードの動きはかなり違う。

フィンがないという点ではボディーボードに近いと言えそうだが、ボードの上に寝そべるわけではなくきちんと足を乗せる点が違う。当然、足フィレもつけないので、ボディーボードともまた違うと言える。

サーフィンをしていない人も想像できると思うが、フィンがないボードで海に浮かぶと、本当にちょっとの体重移動ですぐにボードが反応して動いてしまう。

面白かったのは、「こうしたい」と心で一瞬思うだけで、ボードが動き出すことだ。それはつまり、「こうしたい」と思うだけで、無意識の領域で体は瞬時に「こうしたい」になるように動いている、という証拠に思える。

ただ、うまくいかないのは、「こうしたい」と思ったときに無意識に反応している体の動きは、おそらく、いつものフィンのあるボードに乗っている場合の動きなのだ。フィンがあるボードならこういう動きをすれば「こうしたい」が実現できると、体が覚えている。でも、今回はいつもとボードが違うので、「こうしたい」と体が反応しても、思ったようには動かない、という事態が発生する。

という考え方ができたのは、「川尻先生!ホリスティックヘルスって何ですか?」で、脳の神経ネットワークの仕組みを教えてもらったからだと思う。

この考えでいくと、初回こそ、思ったように「こうしたい」が実現できなかったけれども、この先は、フィンがないときはどう体を使えばどうボードが動くのか、脳に新しいネットワークを作ればいいだけと思える。そうすると、時間はかかるかもしれないが、別にできないことはない、と思える。

それぞれの脳にある程度、個体差はあるのかもしれない。でも、本当の脳の能力という点ではじつは大きな差はなくて、差があるように見えるのは、その脳の可能性を引き出す使い方をどれだけできているか、脳がどれだけ健康であるか、によるところも大きいのではないかと最近は考えている。

「科学的には」間違っているのかもしれない。でも、少なくともそう信じると、「わたしにはとてもできない」という意識は消える。もっと言えば、わたしだけでなく周りのすべての人がとんでもない可能性を秘めていると無邪気に信じられる。それは悪くないというか、人生を豊かにする考えとは言えると思う。信じるものは救われるとは、このことだったりして。

11.11.2019

総合病院の産科に勤めていた友達が、以前「新しい命が生まれたその日、隣の病棟では誰かが亡くなっているということは日常茶飯事だ」というようなことを言っていた。

わたしは病院に勤めたことがないので、その言葉をリアリティーもって実感はできないのだが、でも、この、同じ瞬間に、泣いている人もいれば笑っている人もいる、ということは常に意識にある。

やっかいなのは、メディアが発達して、「泣いている人」はこれまでなら知らなくて済んだはずの「笑っている人」の存在をSNSなどで見ることができること。逆もまた然りで、「笑っている人」もまた「泣いている人」が存在することをSNSで見ることができるため、「笑っている人」は、笑っていてはいけないかもしれない、なんて自制するようなことが時々発生しているかもしれない。

わたし自身は、自分が「笑っている人」であるとき、世界には「泣いている人」がいることを承知で、「笑っている人」であり続けるようにしている。具体的にはSNSで遠慮しない。

というのも、自分が「泣いている人」であるときに、この世界のどこかに「笑っている人」がいることは、むしろ救いだとわたしは感じるからだ。いま猛烈に悲しいのはわたしだけで、猛烈に楽しい人が同時に存在するなら、世界は悪くなる一方じゃないと思える、と。

こういうふうに捉えられるようになったきっかけは、もしかしたら、2011年の東日本大震災だったかもしれない。東京は、東北に比べたら被害なんてなかったといって等しいが、計画停電があったり、水やトイレットペーパーが店頭から消えて買えなくなったり、ちょっとしたパニックが続いて、日本はこのまま壊滅してしまうのではないかと思うくらい恐ろしかった。

けれど、当時まだ元気だった亡夫の提案で京都に逃げたら、京都はびっくりするくらい平常で、電気もあかあかと灯っていた。たまたま入った電気量販店で「東京から逃げてきた」と店員さんに伝えたら、「ああ、なんか、大変だったみたいですねぇ」と他人事のようなのんきな答えが返ってきた。そのとき、なんと意外なことにわたしはほっとしたのだ。東京はいまパニックで、東北はとんでもなく大変なことになっているけれど、関西がこんなに平安なら日本は終わらない、と。もし万一、東日本が壊滅しても、西日本がある、と。

この瞬間「泣いている人」も明日には「笑っている人」になりうるし、逆にいま「笑っている人」も次は「泣いている人」になりうるし、どの土地だって被災地になりうるし、また被災地を支援する立場にもなりうる。

この間、介護士の女の子が言っていた。痴呆症のおばあちゃんは、未来の自分だと思って接している、と。当たり前のことを言っているようだけど、意外とその感覚を腹に落としている人は少ない気がする。目の前のその人はかつての自分かもしれないし、未来の自分かもしれない。すべての存在を自分だと思えるようになったら、そのときはまた世界の見え方ががらりと変わるだろうね。

11.07.2019

スーザン・ウィックストランドというアーティストが講師を務めるMixed Media & Encausticのクラスを受講している。クラスは全6回で、今日が初回であった。

自分がアートのクラスを受講することになるとは、この1カ月前までは思いもよらなかった。はじまりは、スーザンのコラージュ作品群を、とあるギフトショップで見たこと。その作品群の中には、写真、フォント、サーフィン、テキスタイルのような模様、自然や海と、わたしの好きなモチーフなりテーマなりが全部入っていて、「ああ、そうか、コラージュという手法であれば、わたしの好きな世界をひとつにできるのか!」とときめいた。

わたしには一から何かを描くような絵心はないけれど、いろんな素材の寄せ集めなら、できなくもない。そもそもわたしは雑誌や広告のレイアウトを考えるのが好きなのだが、それってきっとコラージュの要素が好きってことなんじゃないか。デザインソフトが使えなくても、実際のマテリアルの切り貼りでやればいいって、なんでこれまで思いつかなかったんだろう!

自分もできるかもしれないと思ってあまりに熱心に作品に見ていたせいか、お店の人が声をかけてきた。そして、その作品を作っているのがスーザンというアーティストで、地元で有名なアート施設でクラスも受け持っていると教えてくれた。

その時点では、コラージュを独自に実験的に家でやってみようと思っていただけで、クラスを受講する気はなかった。クラスが開講されるというアート施設は、レジデンシャルアーティストがいるような、ちょっとエッジのたった施設で、自分にはハードルが高かったし、そんなところで行われるアートクラスだから、アートのバックグランドがある人を対象にしていると勝手に思い込んでいた。

ところが、翌日になってそのアート施設からニュースレターが届いた。以前に取材をしたことがあるのでわたしのメアドが彼らのメーリングリストに入っているのだ。そこには、秋からのアートクラスの受講生を募集しているとあった。読んでみると先日教えてもらったスーザンのクラスもあった。そこには素人歓迎とあった。しかも、平日の夜という、通えなくはない時間帯であった。

ただ、それでも、普通なら申し込まなかったと思う。値段も安くないし、始まる時間が夜といっても、会社を定時で上がれて、かつ渋滞がなかったとしてようやくぎりぎり間に合うくらいの時間だし…と。

でも、そのとき、たまたま『5秒ルール ー直感的に行動するためのシンプルな法則』を読んでいた。だから、思考が「でも…」と言い始める前に、5、4、3、2、1、で申し込んでしまったのだ。流れに乗ったというのはまさにこのこと。一連のことのタイミングが少しでも違ったらきっと申し込んではいなかった。

申し込んだあと、しばらくは、わくわくしていたけれど、実際にクラスが始まる1週間前になると、気が重くなった。来るのはアメリカ人ばかりだろうし、もしかしたらアート関係の人ばっかりかもしれないし、浮きまくったら嫌だなぁと。

ただ、それって単純に新しいことに対する恐れであるってこともわかっていたし、9月に誕生日を迎えたときに、この1年はコンフォートゾーンを抜けてみようと決めたので、これこそコンフォートゾーンを抜けるいい機会だと言い聞かせて、やっぱりやめようと逃げたい気持ちを奮い立たせて今日が初日。

結果はもちろん行ってよかった。残りの5回が楽しみ。

大枚叩いて、アートのクラスを受講して、それが何になるの? と、以前のわたしなら自分に突っ込んでいただろうな。でも、いまは、それはない。何になるかは全然大事じゃなくて、「やりたい!」という自分の声を叶えてあげたことが大事だし、叶えてあげた時点でもう十分何かになっているというか、もとはとったようなものなのだ。

11.04.2019

昨日の海で、波のショルダー(波が盛り上がるところ)の先のインサイド(岸寄り)で波待ちをしているアジア系の女の子がいた。

持っているボードはソフトボード。ボードには乗らず立って波を待っていて、波が来たらボードに飛び乗っている様子を見ると、ビギナーである。けれど、周りには教えているような人はおらず、一緒にサーフしている友達もいなさそうだった。そのレベルで一人で海に入るというのはかなり勇気がいることである。わたしはかつての日本での自分を思い出して、ちょっと心を打たれてしまった。

悩ましいのは、その子が波を待っているスポットでは、まず波に乗れないということがいまのわたしにはわかることだった。ピークから乗って来る人が必ずいるし、もし万一、ピークから乗ってくる人が転んだり、もしくは最後まで波に乗らずにプルアウトしたりしたとしても、彼女のところに波が到達するまでの間には、こぼれ波を狙うサーファーたち(わたしも含む)がとんでもない数いるので、無人のままの波が彼女のところまでやって来ることはまずないだろう。しかも、正直言えば、人が乗ってきてもよけるでもなく、同じ場所に突っ立っていられるのはライディングする者にとっては邪魔である。

そこじゃ波には乗れないよ、と彼女に声をかけてみようかなと何度か思った。

でも、じゃあ、このブレイクのどのスポットで波待ちすれば彼女にとっていいのか、わたしには代替案は提示できそうになかった。というのも、そこは波のブレイクするスポットが限られるリーフブレイクで、上級者が多い。上級者が乗らないような、波が割れた後の白波で練習するというなら場所は探せるが、彼女は波が崩れる前の切り立ったところでテイクオフの練習をしているふうだったので、そうなるとこのブレイクでスポットを見つけるのは難しい。ということは、もし波に乗りたいなら他のブレイクに行ったほうがいいという提案になってしまい、それはつまりここから出て行ったほうがいいというアドバイスになるわけで、自分にはそんなこという資格はない、と思ったら結局何も言えなかった。

海から上がった後も、ちょっとだけその子のことが心に引っかかっていた。あれは、いつかのわたしだ、と。やっぱり、何かしら声をかければよかったかも、と。

まだ日本にいた頃、夫を亡くしてからは一人で海に入ることになった。夫がいないと波待ちの場所もよくわからず、まともに波に乗れないことがしょっちゅうであった。そんなとき、時々、声をかけてくれる人がいた。「その場所で待ってたら波に乗れないよ」とアドバイスをもらったり、「もうちょっとボードの前に乗ってもいいかもよ」と教えてもらったり、「遠慮していないでとにかく来た波にはパドルしないとはじまらないよ」と叱咤激励されたりした。一人で心細かったわたしは声をかけられてほっとしたし、ありがたかった。鵠沼はローカリズムがそこそこ厳しいと当時言われていたけれど、わたしには嫌な思い出はまったくない。

そんな思い出がいっぱいの鵠沼で、Vans Duct Tape Invitationalが開催されたのは、わたしの個人的サーフィン史にとって非常に感慨深いことだった。会場となった鵠沼のスケパー前はまさにわたしがサーフィンをはじめたスポットであり、夫とサーフィンし、夫が亡くなった後も一人で泣きながらサーフィンしたスポットだったからだ。

その当時、わたしが名前を知っていたプロサーファーは、鵠沼のMamiさんこと河村正美さんと、ジョエル・チューダーだけ。そのMamiさんには渡米後、一時帰国したときに寿司屋で会って、図々しく声かけて写真を撮ってもらい、大感動。自身でボードを削り、料理も上手でウクレレも弾くMamiさんはいまも憧れのサーファーだ。

一方のジョエル・チューダーとは、いまは同じブレイクでサーフィンしているという夢のような現実。

Mamiさんとは同じブレイクでサーフィンをしたことはないけれど、ジョエルは、マナーの悪い人にはとんでもなくマナー悪く対応する癖があるけれど、ビギナーだからといってバカにしたりバカにした態度をとることはない。彼が悪態をつくビギナーは、ビギナーなのに我が物顔でブレイクの秩序を乱す人たちのみだ。だから、いまならわかる。あの日のわたしは、たとえ多少邪魔をしたとしても悪態はつかれない。だってさ、全然上手じゃないのに、友達もいないのに、一人で練習しているって、どれだけサーフィンやりたいのかがわかるじゃん。それってスキルのレベルに関係なく、気持ちはすでにサーファーなのだ。

話は飛んだけれども、あの女の子が、波に乗れないことや心細さにめげずにまた海に来るといいな。もし同じブレイクで見かけたら、今度は声をかけてみよう。場所を変えろとかそんなこと言う必要ないじゃん。ただ、「今日はいい天気で気持ちいいね」だけでいい。それは、彼女というより、あの日のわたしを救うことでもあって、あの日のわたしを救ってくれた先輩サーファーへの恩返しでもあるという気がする。