12.31.2019

Girls, walk walk walk.
There will be lots of adventures and treasures on your way.
Enjoy. Be brave.

年齢のことはあまり気にしないほうなのだけど、さすがに40半ばになって自分は若くないという自覚が出てきた(遅い)。川尻隆先生が、「若い頃は経験と知識がないが、感性がある、年を取ると感性が衰え、経験と知識が増える」と言っていた。年長者はその経験と知識ゆえに、若い子の感性を受け入れづらくなって、「若いわね〜」イコール「青いわね〜」なんて上から目線になりがちになると。自分の住み慣れた世界の外にあるものをシャットアウトしないように、もっと心を開きたいなと思う。大晦日。

12.30.2019

これまでなんとなく気になっていたんだけど後回しにしてきたことと向き合っている年末年始。否応無しに向き合わされているというよりは、よしと気合いを入れて自分から分け入っていくような感覚。中には怖くて見たくなかったものもあるのだけど、その怖さってじつは漠然とした不安というだけで、見てみたらなんてことはないものだったりするのだ。ともあれ、ちゃんと「現在地」を知ろうと覚悟を決める。現在地というのは、つまりは過去の集大成。もし、直視して見えてきた現在地が好ましくなかったとしたら、それをもとに好ましいものに向かうようにフラッグを立て直せばいい。なんであれ、すべてはBest of the bestであり、起こることはすべてその過程でもある。そんなきりりとした気持ち。今年もあと2日。

12.29.2019

渡米して以来、無秩序に無尽蔵に増えていった写真データを整理整頓した。心動かされて撮った写真やイベントの写真はもとより、日常の何気ない記録から、ブログなどでレポートのために使うために撮ったもの、自分が撮ったわけじゃないけれど人からもらったもの、とにかく数も多ければカテゴリも多く、取捨選択が難しいので基本は時系列に、あとは「こんまり」式に、ときめくものはよく目のつくGoogle Photoに、ときめかないものはハードディスクに、鬼軍曹のごとく冷徹に、感傷にひたることなく、もくもくとやりきった。2020年は、いや今日から、撮った写真はすぐに取捨選択して仕分けるということをやろうと思う。もったいない、あとで懐かしくなるかもしれない…という気持ちでどっちつかずの写真を取っておくことが悪いとは思わないが、これからのわたしはより自分の感覚を研ぎ澄ませて、好き・好きじゃない、ときめく・ときめかないを、どんどん素早く感じ取れるようになりたいし、その気持ちにすぐに応えられるようになりたい。そうしたら断捨離などしなくても、自然と、どっちでもいいものではなく好きなものに囲まれていることになるはず。できるかわからないけど。やりたいと思ったことと、やりたいと思ったことをやることに意味があるのだと言い聞かせて。

12.28.2019

この夏、サンディエゴに遊びに来た大学時代の同級生一家からクリスマスカードが届いた。じつは彼らの結婚式以来、会っていなかったので、20年ぶりくらいの再会であった。Facebookではつながっていたので知っていたけれど、小学生の娘ちゃんがいる。20年の空白があるのに、久しぶりに会っても、ああ、こんな感じだったという空気感で話せて、まるで大学時代と変わらないのに、ぽこんと真新しい娘ちゃんがその輪の中にいるというのは不思議というか、20年を一気にワープしてシーンをつなげる映画の中にいるような気分であった。わたしは子どもがいないので(いないことをネガティブにも思っていないが)、甥っ子や姪っ子、そして友だちの子が、時折、わたしたちのことを思い出してくれているというのは素直にうれしく、「おばさん」と呼んでかまわないと、ほっこりした気持ちになる。娘を一人の人間として扱って、したいことをさせてあげている、友だちママパパっぷりもすばらしく尊敬する。ありがとうね。

12.27.2019

新月があけたからか、ジュースクレンズを終えたからか、新しいアイデアやイメージがどんどん下りてきてやる気にみなぎる年の瀬。洋服も変えたくなって、変化のときなのだろうと思う。

変化のときにはだいたいわかりやすく乗り物の夢を見るのが常なのだが、今回はバスであった。バス旅行で休憩のために停まったバスから降りたわたしたちがトイレに行った後寄り道なんかをしてバス停に戻るともうそこにバスはなかった。ちょっと慌てて、でも、絶対大丈夫という確信もあって、大きなターミナルを歩き回っているうちに、停めたところとは違うところで停車しているバスを見つけた。

わたしたちが乗り込むと静かに扉が閉まった。待たせてしまったけれど、そこにはわたしたちが乗る席がちゃんとあけてあった。わたしたちのぶんの場所。

バスはゆっくりと動き出した。同乗者の顔は見えなかったけれど、寄り道を終えてちゃんと帰って、その人たちと一緒に(精神世界的な意味の「一緒に」)旅路を楽しむのだなと思った。そして、もちろん寄り道にも意味はあって、わたしたちは休憩して、外側に出たことで、自分たちの乗っていたバスがどんなバスであるか、ちゃんとわかって、そのうえで、自分の意志で戻ったのだ。

12.26.2019

 マーティン・スコセッシ監督のNetflix公開作品、『The Irishman』を見た。主演はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ。このような大作が、Netflix配信ということに時代の変化を感じずにいられない。映画というのは何をもって映画なんだろう。そんな問いも出てくるが、回答は出なさそうだし、ただ言いたいだけでした(笑)。

 さて、映画『The Irishman』は、いまは高齢者施設にいる殺し屋フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)の回想という形で語られる。回想される過去の時間軸が2つあって、そのうえ、いまの老人になったフランクもちょいちょい挿入されるので、最初はなかなか理解ができなかった(英語で見たせいもある)。でも、だからといってつまらないということはなく、3時間30分の長編ながら飽きることなくぐいぐいと引き込まれた。

 この映画は、激動のアメリカ史として見られるし、マフィア映画としても見られるし、いろいろな見方があると思うが、わたしは、フランク・シーランという一人の男の人生物語として面白かった。家族を守るため、あるいは、誰かとの絆を守るため、裏社会を必死に生きたフランクだけど、高齢になったいま、共に生きた関係者は全員先立ち、自分がしてきたことを知る人はいないし、してきたことを「すばらしいことだ」と言ってくれる人も、「仕方のなかったことだ」と言ってくれる人もいない。なんだかとても切ないラストである。

 マーティン・スコセッシが77歳ということを鑑みると、ますます、これは老いというか、自分のしてきたことは人生の最後にどう見えるのか、あるいは、自分のしてきたことが人生の最後にどう影響するのか、そんなことを伝えているように思えてならなかった。何をしても、しなくても、人は老い、必ずいつかその人生は終わるのだ。

 ところで、この映画を見ることにしたきっかけは、わたしが担当している映画連載コラムの著者、映画史研究家の宮尾大輔さんが解説を書いてくれたからだった。これまで、宮尾さんが解説を書いてくれた映画を「見たい」と思っても、忙しさで忙殺されているうちに次の原稿がくるということが多かったので、2020年は見たいと思ったものはとっとと見るの精神でいきたいと思っている。わたしの中でプチブームの5秒ルールを採用する範囲を、2020年は広げようかと。

12.25.2019

3日間のジュースクレンズを終えた! 減量目的ではないため体重は量っておらず、数値で見える変化は何もないのだが、肌の調子が最高にいい。くすんでない、ハリがある。さらには、鏡にうつる自分の目ぢからが強い。目がぱっちりしている。

そんなに暴飲暴食するほうではないつもりだったが、それでも日々の生活の中で積もった何かがあったのだろうな…。すごく爽快な気分だけど、それ以上の収穫は、きっと「達成感」を得られたことだろう。

話は飛ぶけれど、こういう小さな達成感が積み重なって、自分への自信になるんだなぁと最近つくづく思う。自分が思ったことを、自分で行動する。そうすることで自分との信頼関係ができる。信頼関係ができると自信になる。

そして、その「思ったこと」というのは本当に小さいことからでいいのだ。何度も書くし、いろいろな人が言っているけれど、それこそ今日のランチに何が食べたいか自分に問うて、返ってきた答えを実行するということから始めるのでいいのだ。

そこから始めたわたしが、数年経ったいま、本当に、見える世界が全然違うことに驚いている。