12.8.2019

手帳には長いこと「ほぼ日手帳」を愛用してきた。海外発送もしてくれるので、アメリカに来てからも毎年購入していた。ただ、ここ数年はスケジュールをオンラインで管理しているので、スケジュール帳としては使っておらず、メモ帳にしたり、英語1日学習帳にしたり、新しい使い方を模索していた。
「ほぼ日手帳」のいいところは、そのようにスケジュール管理に限らない使い方ができることなのだが、日付を度外視して書き込むなら小さなノートでもいいわけで、ほぼ日手帳にこだわる必要がなくなる。それで、さすがに「2020年用はどうしようかなぁ、いらないかもなぁ」と考えるようになった。
でも、紙質とか、付いてくるボールペンの書きやすさ、手帳としてのクオリティーの高さなど、ほぼ日手帳にしかないものもあるんだよなぁ。そんなふうに諦めきれずにいたら、日付のない「day-free」というタイプが出ていることを知った。
さすがいいところをついてくる!と思った。同時に、わたしと同じような人も多かったのだろうなとも思った。もちろん、迷わず購入した。
ほぼ日といえば、最近では、糸井重里さんとヒロシさんの対談「ヒロシの仕事は好きから、はじまる。」も面白い。
わたしは糸井さんが憧れの存在だなと改めて感じた。じつはいまから遡ること15年前、コピーライター養成講座に通っていた頃は、わたしは糸井さんには憧れないと思っていた。当時は「こだわる」人が素敵だと思っていて、コピーライティング一本に絞らず、テレビに出たり、サイトを作ったり、いろいろなところに顔を出す糸井さんは「ミーハー」で「軽い」というジャッジを(わたしが)していた。
それって、「ミーハー」で「軽い」ことを、本当は自分がしたくて、だけど、してはいけないことなんだって自分を制限していただけだといまはわかる。だから、昔、嫌と思っていた人を好きになったときは、自分が一段進化(少なくとも変化)したと言っていいのかもしれない。
さらに進化(変化)して、糸井さんはこだわりがなく、ミーハーで軽いわけではなくて、自分の「好き」に対して「こだわる」人なんだという見方がいまはできる。15年前のわたしは、彼がコピーライティングにこだわるのではなく、自分の興味にこだわっているのだという見方はできなかった。
糸井さんは当時から、いまの若い世代のような発想で行動していたのだと思うと、さらに尊敬は増す。わたしは糸井さんには及ばないけれど、でも、もし糸井さんだったらどうするかなという物差しをしばらく自分に取り入れるという実験をしてみることを決めた。ああ、ほんとうに、来年の自分が楽しみ。