12.11.2019

 2016年に発行された、詩人、伊藤比呂美さんの著作『犬心』を読み始めて、その文章のすばらしさに早々にノックアウトされた。じつはわたしは今、伊藤さんの人生相談の連載の編集担当であり、担当編集者としてはもっと著作を読んでおくべきなのであるが、なにせ時間がないのと、伊藤さんの著作が多いのとで、『犬心』は気になりつつも後回しにしていた。最近になってようやくKindleで購入したのだが、実際に手に取らないKindle版という形であっても、開いたときの言葉の佇まいの美しさにため息が出た。

 言葉の佇まいが美しいというのは、ていのいい美しい言葉が並んでいるということではない。むしろ、詩人の選ぶ言葉はリアルで、生々しい。でも、それゆえに、その言葉はリアルに生々しく生きている我々、つまり読み手のわたしに、すっと違和感なく、いやむしろ自分のことのようにすっと入ってくる。おかげで、読んでいるだけでわたし自身が、その本の中で起きている出来事を追体験しているような気分になる。だから、「悲しい」と書かれていなくても悲しく感じるし、そもそも「悲しい」などと一言で表せない機微を共有させてもらえるのだ。

 ああああああ。これが言葉なのだ! 安易な言葉でいうなら、これが言葉のチカラなのだ、と。

 コピーライターになりたてのころ、先輩のコピーライターから教えられたことで、覚えていることがふたつある。ひとつは、「できる限り形容詞を使うな」。もうひとつは「普段使わないような言い回しを使うな」。どちらも表層のテクニックではあるが、要は「形容詞を使うかわりに、その形容詞を感じさせるような言葉を出せ」ということであり、「普段使わないような言い回しではなく、普通の言い回しを使うことで、読む人の心に入り込める言葉を選べ」ということだったのだろうな。

 伊藤比呂美さんの『犬心』がすばらしいのは、もちろん言葉の選び方だけではなくて、「詩人の目」を持っているからでもある。だから詩人なのだろうけれど。わたしの考える「詩人の目」とは、物事の細かいところを見逃さないというだけでなく、小さな具象について本質に触れるまで見つめ続ける目であり、他人からすると一見全く違うものに見える他の具象と本質は同じだと突き止めてくっつけたりすることができる思考である。

 映画も音楽も写真も好きだけど、やっぱり言葉も好きだなぁ。美しい言葉に誘われる世界は、旅行に出るのとも違う、異次元の旅という気がする。ブラックフライデーで、画面が半分壊れていたタブレットを買い直したのでKindle版の本がますます読みやすくなった。来年はもっと本を読もう。

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