12.24.2019

この時期の楽しみといえば、クリスマスデコレーションされた家を見て回ることだ。5年もいると、その年によってデコレーションの流行りがあることも少しわかってくるし、家によっては去年がどうだったかも覚えていたりして、「ほほぅ、今回はこの飾り付けが加わったか」などという、ちょっと、いや、かなりマニアックな楽しみ方もできるようになった。

2019年は例年に比べて飾り付けは控えめな家が多かった。今年はサンクスギビングが遅くてクリスマスのデコレーションにかけられる日数が少なかったのが関係しているかもしれない(クリスマスのデコレーションはサンクスギビングが過ぎてからということになっている)。アメリカの景気は悪くないはずなので、わたしの知らないところで、エコロジーのために電飾は控えようとか、そういう動きがあるのかもしれない。

ところで、近所にはクリスマスの飾り付けがゴージャスなことで知られるコミュニティーがあって、ちょっとした見学スポットになっている。我々も例年、そこに散歩に出かけるのだが、よく見たら見学に来ているのはアジア系移民ばっかりであった。物珍しいのだろうね。

それにしても、この間、この景色を見たばっかりの気がするのに、あっというまに1年が経ってしまった。

12.23.2019

 3日間のジュースクレンズをはじめた。「クリスマスの週に!?(ごちそうをたくさん食べるシーズンなのに!?)」と皆に驚かれるが、相方と2人暮らしで、クリスマスだからと特別ファンシーなことはしないのが通例で、どちらかというと人との会食は年末年始が多いので、やるならいま、となった。クリスマス頃は全米がお休みムードで、仕事はあっても大事な会議や人と会う取材は入りにくいので、それもまたちょうどいいのであった。

 今回、ジュースクレンズをお願いするジュースバーは相方が昔から懇意にしている小さな店。コールドプレスジュースとかジュースクレンズとかいう単語でイメージするようなハリウッドセレブ感はまったくない。オーナーは移民のA夫妻で、近所のファームから無農薬の野菜とフルーツを買い、ジュースを作るときに出た野菜やフルーツのカスは農家に返して堆肥にしてもらうという。

 ただ、オシャレ度はまったくない店なのだが、人気はあるそうで、顧客にはプロのアスリートも多く、壁には有名人とオーナーとのツーショット写真がぺたぺたと貼られている。と書けば、オシャレ度のない店構えが想像つくでしょう。そして、そういうのがわたしの好みであることは、これを読んでくれているわたしの友人にはわかることでありましょう。

 わたしはヨガにだいぶ傾倒していた時期があり、週末のプチ断食というのは定期的にやっていたが、コールドプレスジュースによるクレンズは初めて。調べると、ジュースクレンズもまたいろいろな手法(?)や説(?)があるようだが、Aの店で提唱しているやり方は、1日1種類、46オンスのジュースを朝ピックアップして(酵素が生きている必要があるので買い置きはできない)、1時間に8オンスずつ飲むというもの。その間(つまりジュースを飲んで30分後)に12オンス以上の水を飲み、ジュースと水を交互に繰り返す。夕方にはジュースが終わるのだが、その後は、塩と砂糖、スターチ(デンプン)、赤身肉、アルコール、乳製品を避ければ、何かを食べるのはかまわない。

 とりあえず、1日目は無事に46オンスのジュースを飲み終えた。空腹は気にならないが、1時間置きに飲まなきゃいけないというのが気にかかり、仕事をしながら片隅にずっとジュースのことがあって落ち着かなかった。トイレの回数が多くなったのもまた落ち着かない理由の一つであった。

 今日のジュースはビーツやニンジンが入っていた甘めのものだったが、2日目の明日は青汁系。さて、どうなることやら。なんであれ、いつもと違うことをするのは刺激があっていいものだ。

12.21.2019

なぜか理由はわからないけれど、南カリフォルニアの海岸線、崖のある海の景色が好きだ。崖から海を見下ろすのも、海から崖を見上げるのも、とちらもいいなぁと思う。

以前、寺島しのぶさんが主演した、カンヌ国際映画祭上映作品『Oh Lucy!』の映画監督、平栁敦子さんが教えてくれたのだけど、この崖の下にビーチがある景色はサンディエゴの特徴らしく、ロサンゼルス・カウンティーにはあまりないらしい。『Oh Lucy!』にはサンディエゴという設定の場所が出てくるのだが、そのサンディエゴがサンディエゴ住人が見るとどうもサンディエゴではないため、観客の一人が上映会のあとの質疑応答で「どこの海だ?」と聞いたときに、その話が出た。俳優のスケジュールの都合で実際にサンディエゴに行けなかったが、LAではサンディエゴっぽい海はなかなかないのでそれらしいところを探したと。

サーフィンをするときは、崖のおかげで、岸での日常生活はまったく見えなくなって、広大な自然の中にいる感覚を得られるのがいい。逆に崖から海を見ると、入ってくるうねりの筋が遠くから見えて、サーファーがそれを捉えて最後にブレイクするまでを見られることが楽しい。わたしがサーフィンをするからだろうが、波とサーファーがいれば何時間いても全然飽きず、相方とコーヒー片手にいつまでも見ているということは多々ある。

そんなふうに何もしない時間が楽しくなったのは、年を重ねたせいか…。

崖の上からサーファーたちを見ていると、人生というのも同じなんじゃないかと感じることがある。来た波に乗り、戻ってまた来た波に乗る…じつはどこにもたどり着かない。でも、来た波に真剣に乗り、次に来た波にも真剣に乗り、とやっているうちに確実に自分は変わる。わたしたちが人生でいろんなことに対峙するのも、だいたい同じで、それによってどこにたどり着くかより、それらに真剣に取り組んで自分がどう変わるかが、醍醐味なのではないかと。

12.20.2019

「今年やりたいことリスト100」を作るようになったのは、2016年からだったと思う。

 その年は、100個もやりたいことが出てこなくて、自分には欲がないのだと、むしろ達観した境地に辿り着いたように自分のことを捉えていた。わたしは謙虚に、ただ目の前に現れたものを受け取り、目の前に現れる流れに乗って生きていけばいいと。

 辿り着きたい場所(つまり、やりたいこと)を決めないと、そこに自分の意志がないから、目の前に現れる流れは右に行くものだったり左に行くものだったり、前だったり、後ろだったり、他人から影響を受けているだけになると気づいたのは2017年頃。「欲」というと強欲とか、貪欲とか、いやしいイメージがあるけれど、「やりたいこと」というのは本人の「意志」であり、エネルギーをどこに向けるのかの方向性なのだ。方向を決めない限り、目の前の流れに乗ったところで、ぐるぐると同じところを回っているか、他人の周りを回っているだけになる。そこに自分がないので、一所懸命動いているのに「なんだかつまらない」「なんだか楽しくない」ということになる。

 わたしは、長いこと、わたしの本当の心の声を無視し続けていたから、2016年には100個もやりたいことを出せなかったのだということも、そのあと、わかった。「どうせ、やりたいって言ってもやらないでしょ」という、自分に対する諦め。もちろん、自分の内面でそんな戦争が起こっていることには気づいてもいなかったのだけど。

 自分の声に一瞬一瞬耳を澄まし、そのときにできることをする、それを地道に続けるようになって、2018年は80個近く、2019年は90個近く、やりたいことリストが埋るようになった。

 今日、来年に向け2020年のリストを書き出したらあっというまに100個になって、ちょっとうれしかった。全部はやれないだろうけれど(実際、昨年からの持ち越しのものもたくさんある)、やりたいことを明確にする(心の奥底から見えるところに持ってくる)、それに向かって動く、という過程にも意義があると思っている。いや、「過程にも意義がある」じゃなくて、その過程そのものが自分を生きるってことなんだと最近は思っている。

12.19.2019

 まだわたしが日本にいて、結婚する前で、フリーランスのライターだった頃。編集者と夜飲みに行く日程を立てるときに、「あー、その週は“入稿の週”だから駄目だ」と言われることが度々あった。

 わたしも、「あー、入稿の週か、そりゃ、駄目だね」などと調子を合わせていた。入稿の週というのが次号の雑誌の印刷に向け、印刷所に渡すデータを作り→印刷所にデータを渡し→ゲラをチェックして→校了する(印刷に回す)週であるということは理解していたが、当時、編集職の経験がなかったわたしは、それが遊びの予定を入れられないほど大変であるということは、実感としてはわかっていなかった。でも、わかったふりをしていたのだ。

 自分が編集者になってわかった。雑誌一冊分の入稿は大変である。一番大変なのはデザイナーだけど、それを全部チェックする、直しが入ったら即対応するという役目がある編集者も大変なのである。

 このときの直しの対応はクリティカルで、間違いがあってはいけないので神経も使う。場合によっては緊急に著者に確認を取らねばならない。でも著者が必ずしも連絡に応じてくれる状況とは限らない。その対応に追われるので、夜遊ぶ約束をしていてもキャンセルしてしまう可能性があって、だから「入稿の週だから駄目だ」だったわけである。

 ほかに、編集者になってわかったことでいえば、ライターさんに仕事を頼む立場になったことで、信頼できるライター像というのはどんなものかがクリアになった。ライターだった当時のわたしはわかっていないなりに、信頼ポイントを押さえていたから、仕事が途切れることなく続いていたんだなということがよくわかる。同時に、あの頃、自分がライターとしてさらにもう一つ突き抜けるために足りなかったことが何かもいまはわかる。

 とりあえず新年号の“入稿の週”が今週で終わり、長くて大きな波が一段落してほっとしている。つかのまのホリデー気分を満喫しようと思う(でも、クリスマスはファスティングするのでご馳走は食べない)。

12.18.2019

 ユパには、頭のてっぺんにうっすらとモヒカンヘアがあり、顎ひげのような毛も生えている。それが『風の谷のナウシカ』に出てくるユパ様っぽいと思ってユパと名付けた。ナウシカではユパ様がケープをかぶっているシーンのほうが多いが、ケープをはずすとユパ様はモヒカンなのだ。

 しかし、最近は、スターウォーズのヨーダと名付けておいてもよかったかもしれないと思うことがしばしばある。寝ている姿がどうもヨーダっぽい。子犬のうちだけかもしれないけれど、耳が顔に対して大きいし、目も普段はそうでもないのに閉じると急に出目っぽくなる。

 いずれにしても、なかなかのファニーフェイスで、そうそう見かけない風貌なので、犬マニアへの受けはわりといい。

 何人かには、『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフに似ていると言われた。実際、近所のBは、出会うと「Hey, Gandalf!」と声をかけてくる。ユパは尾っぽを振って答えている。

 ドッグパークでは、「プロフェッサー(教授)!」という異名も持つ。もちろんユパは尾っぽを振って答える。

 犬を飼ってよかったことのひとつは、ご近所さんたちとの交流がしやすくなったことだ。とりあえず犬の話をしておけば話題には困らないし、犬の話ならわたしもすらすら話せる。

 散歩をするようになってこれまで見逃していた小さな景色にも気づくようになった。

 2019年を一言で表すなら、犬が来た年であった。それだけだけど、それだけのことがずいぶんとわたしの生活を変えた。

 毎日、朝起きたとき、わたしの顔の隣に犬のお尻があって、とりあえず笑ってしまうことから1日を始められているのは、かなりしあわせなことだ。