01.30.2020

喉の奥に引っかかった小骨みたいに、なんとなくずっと気になって、気持ちが晴れない原因になっていたことを、ひとつひとつしっかりと見てクリアしていくということが年末から続いている。物質的な面でも、精神的な面でも、さまざまな面において。今日もひとつクリアしたが、いざ向き合ってみると、なんだじつはなーんにもたいしたことじゃなかった、ということばかり。なにを恐れていたのだろうと、この段階になると思うが、向き合うのに時間がかかった自分のことも責めないようにしたい。むしろ、勝手に膨らませた恐れを現実にしてしまう前に向き合えてよかったと褒めよう。この一連の流れで、自分がいかに事実でないことに対して恐れを膨らませているのかを身をもって学んだし、と。いや、そういうの、頭ではわかっているんですよ。でも、わかっているのと、やれているのとでは天地ほどの差がある。でも、恐れていたおかげで、なんでもなかったという、なんにも特別でないことを、ありがたく思えるから、それはそれでいいとも思う。なんであれ全肯定で。

01.29.2020

昨日今日と急に春めいてきた。11月からいままで、今年は例年になく寒い日が多かったので、ぽかぽか陽気が単純にうれしい。やっぱり暖かくて明るいのが好きだ、動物だもの。動物といえば…去勢手術を受けたユパはその当日こそ憔悴しきっていて別人(別犬?)かと思うほどで胸が痛かったが、一晩明けたらエリザベスカラーをべこべこといろんなところにぶつけながらも突破しまくり、術後だからとおとなしくさせることのほうが大変なくらいで、ほっとした。新犬、デイジーは3歳のラブラドールミックスで、巨体なのにしつけがなされていないから、飛びかかってくる癖をどう直すかが勝負。我々の直前の飼い主は人生でずっとラブラドールを飼ってきたという犬マスターの老夫婦だったが、体当たりジャンプをしてくる癖は老夫婦には厳しく、とても手に負えないと手放されたのだ。その老夫婦もデイジーを施設から引き取ったばかりであったのでそれ以前の飼い主の情報はないのだが、どうしたらここまでしつけがなされない状況になるのか、世の中にはわたしの知らない世界がたくさんあるなぁ…。ただ、さすがラブラドール。頭は賢く、また人にほめられるのが大好きであるので、とりあえず「Sit(おすわり)」をしないとお菓子はもらえないことなどはすぐ学んだ。ユパとデイジー。2匹が仲良さそうに遊んでいるのもうれしく、いまは相方と犬と過ごすなにげない時間にしあわせを感じる。

01.28.2020

Self-Realization Fellowshipのレッスンが始まった。日本語の教科書もあるにはあるらしいが、非常に大事な部分の要約のみで、全文が読めるのは英語かスペイン語だけだと知って、英語でがんばることにした。アメリカの大学(日本校だけど)で学んだおかげで英語の本はいっぱい読んだし、エッセイもいっぱい書かされたので、英文を読むことは意外と苦でないのだ。あのときの経験がここで役立つのか!すべては神(なる存在)の導きだ!と興奮。しかも、すぐにSRFのイベントに参加できるという環境にいるのはサンディエゴに異動になったおかげであり、これもまた導きだったに違いないとか妄想してさらに興奮が倍(笑)。(笑)って入れたけれど本人はじつはけっこう本気。というのも、SRFで学ぶと決めてから、渡米前にはよく感じていた「祝福のサイン」を、再び感じられる日常が始まったのだ。

いろいろな言葉があふれでてきそうだけど、誤解も招きそうなのであえて控えて、これだけ。あくまでも、「わたしの、今回のこの人生」という範囲においてだけど、全てのことが必要な順番で起こってきたのだと思えるし、今後も必要な順で必要なことが起こるだけだと思える。「思おうとする」のと「思える」のは大きな違いで、「思える」ようになるために本当に全てが必要な順番に起こったのだとしつこく繰り返す。エイブラハムは言っている。一番大事なことは、自分が何を求めているかを明確にすることだよ、と。全てのことは、そのため(求めていることを明確にする)に起こる。「本当に求めていること」を明確にするまでなんと時間がかかったことか。いやいや、仕方ない、ひとつひとつやってこないと、出てこなかったのだろうから。もっと言えば、「ようやくわかった!」と思っているいまここから先だって、さらに出てくる願望がきっとあって、そうやってどんどんタマネギの皮をむいていって、最後は皮がなくなって空と一体になるのだろう。

01.27.2020

小学生の頃の夏休み。従兄弟の家からの帰り際、従兄弟が裏庭からヤマユリを取ってきてくれた。なんという力強い花であろうか! わたしはひと目でヤマユリとやらを好きになって、そう母に告げた。すると、母は「そう? お母さんは、ユリはけばけばしいから大嫌い。お花はかすみ草とか、もっと可憐ではかなげなほうがいい」と言った。母にしてみれば自分の好みを告げただけであることはいま考えればわかるのだが、多感だった幼いわたしはその言葉を脳内でどんどん変換したようで、最終的には「可憐ではかないほうが母に愛される」となり、「女の子は可憐ではかないほうがいい」という呪縛になった。あれから10年、20年、30年と、年を重ねるごとに、母からの(彼女にとっては他意はなかった)呪縛をどんどん解き放って、わたしは身軽になった。呪縛を知らなければ、この身軽さに気づけなかったと思うので、一度呪縛を受けて試行錯誤することが、自分には必要だったのだと思う。

01.26.2020

ユパの去勢手術の日。獣医さんにとってはなんてことない手術だろうし、実際に朝、約束の時間に動物病院に行くと同じ時刻に少なくとも5匹の犬が避妊手術の受付をしていたくらいで、そんなによく行われる手術なのにユパにだけなにか悪いことが起こるとは思えないと冷静な自分はいるのだけど、それでもユパには麻酔があわなかったとか、なにかある可能性はあると思うと一日中気が気でなかった。さすがに1時過ぎまでなにも連絡がなかったので手術はうまくいったのだろうと午後はちょっと気が緩んだが、3時に電話がきて4時に引き取りにおいでと言われて行ってみたらユパはまだ麻酔が利きまくっていて目がうつろで震えていて、もちろん自力で立つこともできず、他の犬がふらふらながらも自力で歩いて帰っていく中で、この子はこれで本当に大丈夫なのかと心配でしかたなかった。わたしの手に抱かれるとわずかに尾っぽを振ったのが、かわいくていじらしくて、久しぶりに心から自発的にヒーリングタッチをしたいという気持ちになって、家に着いてからユパにヒーリングタッチをした。それがきいたのか、それとも家に帰ってきてほっとしたのか、震えはとまって、呼吸が落ち着いて、いまはただ普通に寝ているように見えるくらいになって、時折自分で体勢を変えるようにもなって、わたしもようやくほっとした。デイジー(新しいラブラドール)はさすがに賢くて、この弱ったユパにちょっかいを出そうとはせず、ただぺろぺろとユパの頭を舐めて見守っていた。

01.25.2020

パラマハンサ・ヨガナンダが設立したSelf-Realization Fellowship(SRF)の月1回恒例の6時間瞑想に初めて参加した。キールタン(インド風の賛美歌みたいなもの)が始まるなり涙が流れた。こういうときに涙が流れるのは初めてではない。何年も前、ネイティブアメリカンのスエットロッジをシャスタで初体験したときも号泣した。思うにわたしはみんなで祈る神聖な場のエネルギーが好きなのだと思う。魂が懐かしがるというか。6時間の瞑想ではいろんなメッセージを受け取った。そして、ついにあることへの覚悟を決めた。自分にとって長らくタブーだったことを、ついに解禁する。自分でタブーにしていたってことは、本当はすごくやりたいのに、同じくらいの勢いで恐れていたってことでもある。その恐れを手放す準備がようやくできた。これまでのいろんなことがここにつながっていた気がするとさえ思える清々しさ。新月明け、旧暦の正月。生まれ変わったような気持ちで迎える新年。

01.24.2020

日本では湘南で海に入っていたので、水平線に沈む夕日を見ることはなかった。カリフォルニアでは逆に海から上る朝日を見ることがない。けれど、海に沈む太陽は見える。空の色と合わせて海の色が刻々と変わる、朝焼けや夕焼けの海が好き。個人的には風がないことが多い早朝のほうがより好き。風がないと波がいいというだけでなくて、水面がとろとろのオイルのように感じる(サーフィン用語ではグラッシーとか、日本語だと面ツルと言う)。そのとろけるような水面に浮かんで紫やピンクに染まる一面を見るのは気持ちがいい。この地球が織りなす雄大な景色の、人間も一部である。そういう規模でものごとを感じることができれば、たいていのことが、まあ、なんでもいいや、となる。悠久といえるような大きな流れの中で小さなあれこれが起こっているだけのことだと。