02.19.2020

noteでサトナオさんがシェアしていた、アニキサスアレルギーで寿司職人を引退した方のブログがよかった。あと、朝日新聞デジタルに寄稿された、夫・藤田宣永さんを亡くした小池真理子さんの文章がすばらしかった。寿司職人りょうすけさんは、心の持ちようがすばらしいと思ったし、その心の持ちようを誰もがわかるような文章にしてまとめているところもすばらしいと思った。小池さんはさすが作家で、寂しくて言葉が見つからないと言いながら、それでも作家の目で物事を見て、作家の言葉を書いていると感じた。私は表面ばかりきれいで中味のない言葉は苦手。逆に並ぶ言葉は平易だけども、その人の生き様やありようがなければ発せられないような文章が好き。今日はお二人の美しい文章に心が洗われた。

02.18.2020

実の父が、とある不快な症状があるために検査を受けると聞いて、年齢も年齢だしと気がかりだったが、器質的な異常はなしという結果だったそうでほっとした。そうは言っても不快な症状があることは変わらないそうなのでなんとかよくなってほしいと願う。ぜひ「川尻先生!ホリスティックヘルスって何ですか?」を読んでほしいとも思うが、この内容、高齢の父が受け入れられるか微妙だな…と勝手に思ってすすめきれなかった…自分もまだまだ、だな。

02.17.2020

夜中にユパがわたしをなんども起こそうとした。珍しく執拗で、最後には諦めて自分で部屋を出ようとドアに体当たりをした。これはきっとトイレに行きたいのだとさすがにここで気づいたが、深夜2時に一階に行って裏庭に出す気はしなかったので、トイレシートを引くことにした。が、シートを探しているうちに、ユパはウン✖️をしてしまった。散歩でしたし、いままで夜中にトイレをしたがったことはなかったのだが…。相方が処理してくれて、わたしは再び布団に入って、ユパのぬくもりを感じながらまどろんでいたら、またユパが起き出して、今度はごぼごぼと吐いた。あれ、いつもとなんか違うぞ、とさすがに心配になりながら電気をつけて吐瀉物を確認したら、大きな木の実が入っていた。おそらくこれで消化不良を起こしていたんだろう。まったくいつ食べたんだ…。その後ユパはさらにゆるゆるの下痢をベッドの横でした。そこフローリングじゃなくてカーペットだぜ、おい、と思いながら寝ぼけたまなこで掃除。いつもはベッドのわたしの足の間で寝ることが多いユパが、昨日は脇の下に、まるで腕枕するような形で寝ていたのは、お腹が痛いかなんかで甘えていたのかもしれない。気づけなくてごめんよ。ウン✖️と吐瀉物にまみれたママはむしろ犬への愛おしさを増したのであった。犬は喋れないけれど、喋らないぶん、いっぱいいろんなサインを出しているから、もっと敏感でありたいな。

02.16.2020

当たり前だけど犬にも個性があって、二頭飼いのように複数いるとそれぞれの個性が際立つ。ユパもデイジーもかわいいけれど、でもどちらかというとユパのほうが好きと感じる自分がいて、親とのことを思い出した。わたしはずいぶんと大人になってから母に「あなたは本当に扱いにくかった」と言われたくらいで、思春期をすぎるまで、母との間には愛情表現をめぐるいろいろな葛藤があったのだ。しかし、自分が二頭犬を飼ってみると、好きの度合いに差があるというか、気が合うほうとそうでもないほうががいることは自然なんだろいうということがわかる。それはどちらかというと本能的というか、頭で「好きになろう」とするのとは違うレベルのもので、なるべく不公平はなくしようということはできても、好きの度合いを変えようということはなかなかできない。こうなってみてわかるのは、母が、兄や弟よりわたしを扱いにくく感じていたとしても、それは母の落ち度ではないし、ましてやわたしのせいでもなかったということだ。たまたま母とわたしの相性がそうだっただけ。そして、そんなに「扱いにくかった」にもかかわらず、ちゃんとごはんも作ってくれて、学校にも行かせてくれて、夏には家族旅行に連れていったりしてくれた。いまはむしろそちらのほうに感謝を感じる。

02.15.2020

犬と週末恒例の裏山探索。ここはアーティチョークのスポット。ほかにカモミールが群生するスポットもある。セージも最近見つけた。裏山を駆けずり回ったあとの犬からはほんのりカモミールの香りがする。立春というのは本当でその日を境に裏山の景色がみるみる春らしくなってきた。

02.14.2020

Self-Realization Fellowshipのレッスンが面白い。ヨガとかスピリチュアルなこともろもろ、これまでわたしが興味を持って勉強してきた広範囲のいろんなピースがここに繋がっていたのかと思うほど。いろんなピースがここに繋がっているように思えるものといえば、アリス・ベイリーの秘教本もあるのだが、あれは理解するのがすごく大変なのと、読んでも読んでも「それではいまわたしは何をすればいいだろうか?」というのが(わたしには)わかりづらい。どうもわたしは知識として世界を理解することより、世界の真理を経験したい、そのものになりたいという欲求が強いようで、そこに近づくために何をすればいいのかが明確な教えのほうがしっくりくるようだ。わたしがこの人生でもっとも恐れていたのは、何か特定の教えに自分を明け渡すこと、特定の誰かをグルと思うこと、であった。そのあたりの恐れを解き放っていますごく自由。恐れていたところに飛び込んだわけだけど、仕事もちゃんとしているし、相方とも仲良くやっているし、友達も変わらないし、生活はたいして変わらず、失うものなんてなかったのであった。一体何を恐れていたのだろうと思うくらいに、いま、すごく自由で、清々しい。

02.13.2020

一部の人からの電話が鳴らないという会社の電話の問題が発覚してから数カ月。何人もの技術者が送られ、ようやく「たぶん直ったと思う」と言われるも、確かめる術がなく、「直ったと思うなら直ったのだろう」と受け入れるしかない。しかし、数週間前、「うちの会社に電話をかけると『Not in service』と言われる」と身近な人がわざわざオフィスに足を運んでくれた。つまり、問題は解決していなかった。しかし、その人は技術者であるからなのか、「ちなみに僕のケータイはXXです」とキャリア名を教えてくれたことがヒントになった。同じキャリアを使っている同僚が試しにオフィスに電話してみると、やはりかからない。灯台下暗し。

またカスタマーセンターに電話をしていちからやり直しだけど、今度はどの電話からかからないのか具体的な例があるのでなんとかなるのではないかと淡い期待を抱いていた。ところが、やっぱり「俺のサイドでできることはした。解決しないなら上にあげる。また連絡する」と言ってその後音沙汰なし…ということが数度。そうこうしているうちにWi Fiが使えなくなってまた電話。Wi Fiが使えなくなったことに関係あるかもしれないのでWi Fiの修理に来てくれた寡黙な技術者Sに、「じつはもう1つ問題があって、その件で今誰かが何かいじっている可能性があるので、それが関係しているかも?」と伝えると、Sはものの数秒でWi Fiを直してくれた。Sによれば、電話の問題を直すためにリセットしたことでネットワークの情報が消えたとかそんなことらしい。っていうか、その可能性があるならなぜリセットしたあとにケアをしないのだ!? むー。

Sは「もう一つの問題っていうのはなんなんだい?」と聞いてくれたのでことの顛末を伝えると、「それはきっとプログラミングの問題の気がするから、プログラミングの人に頼むのがよさそうだ。僕のほうで頼んでみてまた連絡するよ」。そう言われたのにその後連絡がないことが(他の担当者のときに)数回あったから、ちょっと不安な顔をしたら、「ちゃんと連絡するし、いざというときは名刺の僕の電話番号に直接連絡をくれていい」と言ってくれた。しかも、立ち去ったのが午後5時30分くらいで、それから30分もしないうちに「直ったと思う」と連絡が来て、電話がつながらなかった同僚に確かめてもらったらついに通じた! 

これまでの技術者は誰もプログラミングの問題だろうという指摘はせず、「これはいままでなかったケースだ…難しいケースだ…」とばかり言っていたのにSのプロフェッショナルぶりに感激。わたしがこの問題に対応しはじめたのはこの数週間だが(それまでは産休前の同僚がやってくれていた)、毎度英語でらちのあかないやりとりをするのはかなりのストレスだったので解決してほんとうにうれしい。興奮が過ぎて長文になった。