【映画】ペイン・アンド・グローリー
日本では今年夏に公開が決まっている映画『Pain and Glory』を観た。スペインのペドロ・アルモドバルが脚本&監督した自伝的要素のある映画で、主演はアントニオ・バンデラス。スペイン語の映画を英語字幕で観るのはなかなかチャレンジングで重要なセリフのいくつかを理解できていない可能性があるが、そんな理解度でもなお心を動かされる映画であった。
批評の専門家でないので、これを観た上でのわたしの話を。
亡くなった夫との関係性、そして彼の病気と死、その後の渡米と、わたしのこの10年はドラマティックすぎて、その間、人の内面(特に影)を小難しく描き出したような映画や小説は避けてきた。夫と出会った当初はそういう映画や小説が大好きだったのに、人生いろいろありすぎてフィクションでまでいろんなことを考えさせられるのは疲れすぎて、映画も小説も苦手になり、映画を観るときは頭を使わずに愉快痛快爽快でいられる映画を好むようになったし、小説は自己啓発のハウツー本にとって変わった。何を見ても読んでも、フィクションはダメだった。夫を看取った、そのことと比べてしまうとリアルに感情移入できなかった。
昔好きだったような映画や小説がわたしの日常に戻ってきたのは昨年である。戻すぞと意識したわけじゃないけど、なんとなく仕事の流れで小説や映画に触れるようになって、ああ、こういうの、懐かしいな、いいなと受け取れるようになっている自分に気づいた。ただ、同時に、いま、そのような心の機微を描いた作品に触れると、若かった頃の、繊細で傷つきやすくて文章なり写真なりなんなりで吐き出さずにいられなかった、あの時代の感受性が自分にはもうないということも突きつけられた。良くも悪くもわたしはふてぶてしく強くたくましくなった。
あんなに忌み嫌っていた、繊細で傷つきやすかった自分(いわゆる「こじらせ」)なのに、いなくなってしまうと寂しくて、わたしはこうして時々こういう映画や小説に触れて、あの頃のわたしを引っ張り出したいと思うようになった。よく言えば、映画や小説との距離が変わったんだろう。自分ごととして思い切り共感して自分との境目さえわからなくなってその世界からしばらく戻ってこれなくなるような付き合い方から、もう少し大人の、「この時間だけですよ。でも、この時間だけは日常を忘れてちゃんとあなたに集中しますよ」というような付き合いに。
ところで、『ペイン・アンド・グローリー』を観終わったあと、なぜか槇原敬之の『ズル休み』という歌が頭の中でまわっていた。なんでだろう。意味があるかもしれないのでYoutubeで検索して聞いている。この歌、久しぶりに聞いたけど、いまはもう歌詞に感情移入できないけど、それでもやっぱり好きだ。
で、いったん、この文章をアップしたあとに、急に気づいた。わたしが書いた上記のようなことは、封印していた過去と再会して、過去に戻るのではなく、自分の人生を再びはじめる、『ペイン・アンド・グローリー』で描かれているテーマと通じるものがあるなと。