04.04.2020
ウクレレのコードをだいぶ覚えて
いろんな曲が弾けるようになってきたので
調子に乗っていまはギターを習っている。
先生はウクレレと同じく、相方。
二人でギターやウクレレを弾いていると時々
不思議な気分になることがある。
そもそも最初にわたしがウクレレを買ったのは
いまから15年も前の(!)こと。
当時、後に結婚して死別してしまう夫と
不安定な付き合いをしていて、
彼がウクレレを習い始めるので
一緒に習わないかと声をかけられ、
同僚とハワイ旅行に行ったときに
買って帰ってきたのだ。
結局、夫とはその直後に別れ、
わたしが買ったウクレレは
ずっとほこりをかぶっていた。
別れ話をした夏の午後に
彼が弾いてくれたアメージンググレースが
ずっと心に残っていた。
最終的には、我々は寄りを戻して結婚したわけだが、
結婚後もウクレレを弾くことはなかった。
いま思うに、あのときの二人は行き詰っていて
それを打破するために何か
新しいことを探していたような気がする。
二人でできる新しい何かを見つければ
関係を続けられるともがいていたんじゃないかと。
いざ二人でいられるようになってみると
楽しいことがほかにたくさんありすぎて、
ウクレレのことはほとんど忘れていた。
あれから15年が経ち、亡夫を見送って8年が経ち、
いま、わたしはウクレレでアメージンググレースを
なんなく弾けるようになった。
そして、あの頃には思いもよらなかった
ギターに手を出している。
あの頃は存在さえ知らなかった人と一緒に、
あの頃は思いもしなかった場所で。
そう考えてみると、
「思いもよらなかったこと」というのは
いつもけっこう起こっているもんだ。
同じ思いもよらない出来事でも
今回のC騒動のようにあんまり好ましくないほうと、
わたしのギターのように好ましい場合とがあるけれど。
でも、C騒動だって、
いまのこの時点の人間の視点では、
好ましくないものに見えるというだけで
神の視点でもっと長いスパンで見たら
あれは結果よかったことだったねと
言えるときがくるのだとも信じている。
もちろんいまこのときの
自分と大切な人の身の安全は大事に。
社会、地域全体、全てが同胞だと思って
同胞の安全も大事に。
注意深くありながら、同時に希望と祈りをもって
この日々こそ毎日を丁寧に過ごしたいと思う。