04.14.2020
亡くなった夫の誕生日がまたやってきた。
彼は日本生まれの日本育ちだし、
我々は日本で暮らしていたので
彼の誕生日や命日やその他の大事な日は
日本時間に合わせるように意識している。
日本時間における夫の誕生日のその日、
読者から一通のメールが届いて、
その中にはわたしの20年のライター人生で
一番うれしいといって過言でない
褒め言葉が並んでいたものだから、
感極まって泣きそうになった。
実際、涙が出た。
亡夫はコピーライターの先輩で、
著書も何冊かあるうえ、
いつも何かアイデアを出しては
形にしているクリエイターで、
わたしはとても尊敬していたし、
大いなる影響を受けていた。
何かを作ることや、書くことについて
人の言うことは聞かないわたしであるが、
彼のアドバイスは素直に聞けたし、
相談もなんでもした。
そのように書くことやクリエイティブなことについて
「あ、うん」で話せる同士がいなくなったことは
夫がいなくなった後に感じた数ある寂しさの中でも
かなり上位にくる寂しさであった。
1言えば、100分かってくれるどころか、
200くらいの納得いく答えをくれる存在。
夫が亡くなった後、
雑誌制作にも広告制作にも興味がなくなって
セラピストになろうとしたが、
いろいろあって、自分がもらったギフトは
苦なく書き続けられることだと思い直し、
どうしたらもっとライターとして成長できるかと
心の中で夫に相談しながら書き続けてきた。
それに対して合格通知をもらったような
そんな読者からのメールだった。
しかも夫の誕生日に。
かっこいい言葉は書かない。
心からの言葉だけを書く。
心から出る何かと
その言葉がマッチしていないと感じるときは
そのままにしない。
心から出る何かがぼんやりしていて
まだ言葉にならない場合は
言葉という形になるまでしつこく掘り続ける。
こうやって並べると、基本じゃん、と思う。
けど、職業ライターは締切に追われるし、
広告主や編集者の意向もあるしで、
わたしのように要領のいいタイプの者は
容易に「期待されているものを書く」に
流されてしまうのだ。
そこに流されてから自分を取り戻すまで、
長い道のりであった。
最近はアルコールはほとんど飲まないけど、
今日は夫に心で献杯しながら、
ささやかな祝杯をあげたい。