今日のつぶやき
何かモヤモヤするときは自分の中心に自分がいないだけだ。モヤモヤするきっかけになった出来事はあるかもしれないが、それはきっかけに過ぎない。だから何かモヤモヤしたときはその出来事について考えるよりもまずは自分の中心に自分を戻す作業をするほうがいい。
自分の中心に自分を戻すというのは単純に自分の心地良い状態に自分をするということだ。今何をすると心地良いかは状況によって毎回違うので、自分に聞くしかない。
よくあるのは、「こうすれば心地良いよ」という答えが自分から返ってきても、「それができないんだよ〜」と自分で否定して動かないこと。
たとえば昨日からいろいろあってモヤモヤしていたわたしは今日、「会社を休んでいろいろ溜まっている私用を片付けたら気分よくなるな」と思った。でも、すぐにもう一人の自分が言うのだ。「それって会社休んでまですること? その私用ってそこまで緊急? そもそもなんかモヤモヤしていてて今日は家にこもっていたくない?」
ん? 家にこもっていたいのが、わたしの本音? そこで、ここで自己対話をはじめる。
「うーん、今日やらなくてもいいんだけど、なんか片付けてしまいたいんだよね。ひきこもっていたい気もするけど、引きこもって夜を迎えた自分を想像すると『あー、今日もやらなかった』って嫌な気分になる気がする。片付けたら『よくやった、自分』って気持ち良く夜を迎えられる」
「え、でも、そもそもモヤモヤしたのって私用が溜まっているのが原因? 本当? 」
「いや、関係ないかもしれないけど、自分に問うたら私用を片付けたいって言うから、片付けたいだけ。っていうか、今日会社休んだからといってどの程度の仕事が滞るの? たいして滞らなくない? ちょっと滞ったところで誰に迷惑かけるの? かけなくない?」
というわけで、えいや、と半休取って事務処理を片付けたらわかりやすーくモヤモヤは消えた。気分がよくなったのでついでに食材の買い出しに行き、そこで出会った知人と立ち話して今後の自分にとってとっても重要なキーワードまでもらった。
こうなるともう最初にわたしをモヤモヤさせたものが何であったかもどうでもよくなり、一件落着となる。
自分の中心に自分がいない。これは引き寄せのアブラハム的に言えば、ボルテックスにいない、とか、ソースと同調していない、という表現になるし、SRFの教えで言えば、我々全員の父である神なる存在と離れてしまった状態という表現になる。言い方はそれぞれだけど、とにかく周りで何が起こっていても、何かによってモヤモヤの引き金が引かれたとしても、自分に戻ることが一番先にやるべきことだとますます確信したし、それができるようになっている自分を褒めたい。
くしくも、買い物で出会った人には暗にそのことを褒められるような言葉をもらって、単純なわたしは神様からの合格メッセージ♡と思ったのでした。