06.09.2020

紫陽花といえば梅雨の象徴のような花と理解していたので、サンディエゴに来て、人の家の軒先に紫陽花を見つけたとき、ちょっと驚いた。乾いた空気ととんでもなく力強く照りつける太陽にも、この植物は耐えられるのだと。

紫陽花の細かい種類については無知なので、そもそも種類が違うのかもしれないが、カリフォルニアで見る紫陽花は日本で見るそれとは何か違う気がする。

カリフォルニアにいる日本人のわたしも、日本にいるときのわたしとは何か違う気がする。それは変化なのか、進化なのか、順応なのか、適応なのか。

そもそも順応と適応の違いは何かと調べてみたら、順応は自然に変わること、適応は自ら意識して変わること、とあった。

わたしは、日本に帰ったら、日本にいるときのわたしに戻るんだろうか? とりあえず、日本にいるときのわたしでは、この国ではとてもしあわせに生きられないので、わたしは意識的に「適応」している部分も多いように思う。しあわせに生きるための、適応。で、思ったのだが、「意識的して変わる」というのはたくさんいる生物の中でももしかしたら人間くらいしかできないことなのではないか? ならばそれを上手にいかして生きたい。

3 Comments on “06.09.2020”

  1. こんにちは!初めてコメントします。共感しました。食べ物も生き物も、もちろん人も、住む土地に適応、順応すると思います。外国人も日本に長年いたら、日本人のようになると思います。日本人が別の国にいれば、いつかその国の人のようになると思います。ぼく自身、日本を離れたとき、そう思いました。

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    • Wildsumさま、コメントありがとうございます! 日本を離れていらしゃった経験があるのですね! 日本人にいた自分とは違うなぁというのがたまに不安というか寂しくなるときもあるのですが、でも、生き延びるために適応、順応しているのだから、それはそれでいいんでしょうね。

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      • その通りです。郷に入っては郷に従えです。でも、楽しかったです。日本と離れることはいい経験でした。

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