07.21.2020
前にも書いたが、若かりし頃、「コピーライター」という肩書きにとても憧れて、でも憧れが強いために、実際にコピーライターになってもなかなか「コピーライターです」と名乗ることができなかった経験がある。
「サーファー」もまた同じで、なぜかすごく強い思い入れがあって、だからこそ、サーフィンをちょっとしているくらいではサーファーとは言えないと勝手に厳しいルールを自分に作って(今もその傾向はある)、毎日、日常的にサーフィンするようになって、自分の板をはじめてカスタマイズで注文して、ようやく「サーファーです」と言えると自分に許可を出したという経緯がある。
これら2つに憧れたのは、単純にわたし個人の好みで、ほかの人がみんなコピーライターやサーファーに憧れるとは思わない。要は、憧れる「何か」は、本当は自分がなりたい「何か」であるということ。そして、その憧れが強いほど、また自己肯定感が低いほど、「自分がその何かだと名乗るなんておこがましい」という心理が発生して、それがさらに複雑にこじれると、「そもそもそんなものに憧れない」というくらいの反発として出る。が、今日書きたいのはそのことじゃない。
私は今年に入って、またひとつ、「何それ、なんかかっこいい、それになりたい!」という名称を見つけたのだ。それは「クリヤバン」。まずはよくわからないまま、その名前の響きに惹かれたのだが、パラマハンサ・ヨガナンダ(もっと言えばババジ)のクリアヨガを実践するヨガ行者のことだとわかって、さらに心惹かれた。
クリアヨガは、すぐには始められなくて、今私が熱心に学んでいる、Self Realization Fellowship(SRF)の18のレッスンを修了して初めてクリアヨガの伝授をしてもらうことができ、そこからようやくクリアヨガの修行者、「クリアバン」になれる。
SRFの18のレッスンには順番があって、特定のテクニックを最低でもどのくらい続けて初めて次のテクニックにいけるというもので、これを修了するだけでも、なかなか時間がかかる。けれど、クリアヨガの手前の、このレッスン&テクニックだけでも、ものすごーーーーーーくすごくて、「今までいろんなものに手を出してきたけど、これひとつで全部、包括的にカバーできるじゃん!!!」と心から思っていて、今からこんなにすばらしいとしたら、「クリアバン」になった時には何が待っているのだろうと、ワクワクが止まらない。
私があまりにワクワクしているので、相方が「今までやってきたほかのスピリチュアルなことやヨガとは何が違うの?」と質問してきた。そのおかげで考えることができたのだけど、何が違うって、これまで「知識としては知っていた世界」を「体験」することができることで、「体験」をするために「何をすればいいか」を端的に教えてくれることだ。言われたことを、アホみたいに愚直にやるだけなんだけど、それによって「知識」だったことを「体験」にできるという体験が待っている。そのレッスンを熱心にすれば、神の子である自分を体験できるっていうのは、まさにSelf Realizationであるなと、その名前もまた完璧だわと、私は今日も「クリアバン」への憧れを募らせている。