08.08.2020

先週のこと。朝、さくっと1時間ほどサーフィンをして、そのままドライブして内陸の山に向かい、往復3時間のハイキングをして、自宅に戻って仕事した1日があった。なんだか夢のような暮らしであるなぁ。以前なら、「こんなことを書いたら自慢になっちゃう」とちょっと気にしていたが、みんながみんなそんな生活(サーフィンしてハイキングして仕事する田舎暮らし)を夢見ているわけじゃないということがようやくわかって(遅い)、心の自由度がぐんぐん増した。
みんなそれぞれ、それぞれのしあわせをめざしていて、わたしがしあわせを感じることが人のしあわせとは限らないし、わたしがしあわせであることが人を不幸にするわけでもないし、もし嫌味だとか自慢だとかとらえる人がいたら、それはその人の課題であってわたしには関係ない。年を取るということはかように図々しくなることで、良いか悪いかはわからないけれどもとにかく生きやすくはなる。
この間、セドナで撮ったオーラ写真の結果の中に「サーフィンや山登り、冒険的でアドレナリンがでることで元気をチャージするタイプ」とあったのだが、遊びのつもりであったのに結構納得してしまった。きっと動き回ることが、わたしの元気の補給方法なのだ。20代と30代の前半はいつも疲れていてしょっちゅう休んでいたのだけど、今は動き回るのが大好きで、じっとしていられない。今年に入ってからは偏頭痛もほとんどなくなって、自分史上もっとも元気。それはそれで交感神経優位の状態が続き過ぎている気がして、たまには「休まなければ」と思っていたけれど、「なければ」って義務感になっている時点で、何かが違うのだとオーラ写真の診断を読んだときに思った。わたしにはわたしの元気のチャージの仕方、休み方、リラックスの仕方というのがあるはずで、世間一般の常識や頭でひねくりだした「なければ」ではなくて、もっと純粋に、体と心の芯から届く自分の声をちゃんと聞いてそれを受け取る(行動にうつす)ことをがんばればいいんだと改めて思ったのだ。
で、そんなタイプなので、海で、山で、元気をチャージしまくれるような暮らしができていることはしあわせでしかない。亡くなった前の夫と湘南で暮らしていたときは、そんな日々だった。毎日が夏休みのようであった。アメリカに来て、いろんなことに追われて(移民というのはやってみると結構大変なのだ)、自分はこんな暮らしがしたくてアメリカに来たわけじゃないと泣けた日々もあったけれど、何年か前に、この地で、湘南で暮らしていたときのような暮らしをするのだと心に誓った。そして数年後、その通りの生活をしている。まずは自分の心の中で「決める」ってことはそのくらいすごい。
まだまだ満ち満ちる達成感があふれ出て止まらない月間、継続中。アドレナリン出てるか(笑)。亡夫にも話したいことがいっぱいあるが、きっと全部見ていると思って、わたしは、わたしの、この人生をやり抜くだけだ。