08.14.2020

今年最後の担当特集。好きなテーマで、読者に伝えたい思いが大きいために気合が入りまくり、通常業務中はメールやチャットでいろんな事案がやってくるので、就業時間が終わってから特集に取り掛かるという、「残業」みたいなことを好んでしている。会社員生活も6年になって、良くも悪くも慣れたけれど、すぐ答えたほうがいい相談などが入ってこないとわかっている静かな時間に集中して一人で黙々と仕事をするのはやっぱり大好きで、フリーランスだったときはこうだったんだよなぁと懐かしく思い出した。今は編集者(原稿も書く)なので、ライター時代と違い、デザインの構成要素とか、レイアウトの仕方までも口出しというか一緒に考えられるのが楽しい。

それで、業務時間を縛られるのは苦手だけど、仕事自体は好きなんだなぁと改めて思った。これもまたここ数年で学んだことの一つなんだけど、Aが嫌だって感じたとき、わたしは「じゃあ、Aをやめる」っていう極端な反応をよくしていた。前にも書いたけど、わたしにとってコピーライターの仕事がまさにそうであった。プレッシャーも大きかったのもあるけど、広告したいと思えないもののコピーも考えなければならないことや、比較的自由なはずのフリーランサーでも緊急の変更や修正に対応できる人じゃないとニーズがないという実情がだんだん苦痛になってやめてしまった。そのときは、コピーライターの仕事が嫌になったと思っていたけれど、広告文案を考えるというその行為自体はやっぱり好きで、嫌になったのは働き方というだけであった。

そうはいっても、もしコピーライターとして仕事をしたいなら、そういったわたしが嫌いだった要素も甘んじて受け入れねば現実には厳しいんだよ、というような縛り(常識、思い込み)からも最近は自由になって、わたしが好きな部分だけをやれる方法があるはずだから、それを見つければいいだけだと思っている。あまりにポジティブで自分でも笑える。そこまで楽観的になれたのは、現実は全部自分が作っているのだと心底腑に落ちたからなのだが、こういうのは頭で理解してもすぐにできるわけじゃない。けど、まず「現実は全部自分が作っているらしい」と「決めてみちゃう」ことをおすすめしたい。そう思えるか、思えないか、信じられるか、信じられないか、ではなくて、「なんかしらんけど、そうだとしたら楽しそう(しあわせそう)だから決めてみちゃう」。それによって物事を捉える前提が変わる。

「現実は全部自分で作っているらしい」と「決めてみちゃう」と、たとえば、「はて、現実はすべて自分で作れるとしたら、なぜ今、自分は、自分が全然望んでいない環境にいる(環境を作っている)のだろう?」となる。ポイントは「現実はすべて自分で作れるとしたら」で、要は必然的に視点が変わるのですね。いやいや、今の経済危機はコロナのせいだし、とか、さすがに40代になったら転職厳しいのは普通でしょ、などなど、外的なものの影響を受けているっていう考えが湧き上がっても、それでも、「現実はすべて自分で作れるとしたら」を前提で自問自答を進めていく。そのときは、すぐに答えが出なくても、あるとき、ふと「アハモーメント(なるほど!そうだったんだ!という気づく瞬間)」がくる(こないときもある笑)。

ただ、自分で書いていて思うけれど、この方法は、ある程度、心が健全、いや、この表現は誤解があるな、えっと、カウンセリングが必要な領域にいる人には難しいというか、向かないだろう。これも似たようなことを元ハッピーちゃんが言ってたことだけど、マイナス地点とゼロ地点とプラス地点があったとして、マイナスから一気にプラスには行けない。マイナスの場合はまずゼロをめざさないと、いきなりプラスに行こうとするとできなくてさらにめげるってことになる。だから、常に、指針は自分の心。「なんかしらんけど良さそう」というものを試せばいい。けど、その場合も、試すことがポイントです。知るだけではなく。

というわけで、セドナ以降のわたしは心の自由度が増して(増していたことに気づいて)、そのことを伝えたくて仕方なくて暑苦しいのであります。

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