08.26.2020

重たいデータをデザイナーとやりとりするためにサーバーに上げたかったのに、インターネット接続が遅いか不安定かでいっこうにアップできない。さんざん待って(それこそ30分?)、ようやく全部転送できたと思ったところで「失敗しました」とメッセージが出たときは、さすがに限界を感じて、苛立ったその勢いのまま、階下で仕事をしている相方のところに行き、「うちのインターネット、これじゃ、仕事にならないよ。どうにかならないかな?」とこぼしてみた。相方は「悪いけど、今日この瞬間にできることはない」と一言。そりゃそうだ。というわけで、これも「気になるけれど(ベストとは思っていないけれど)、何も手を打たずに惰性で続いていくこと」のひとつになりそうだった。
ところが、数日もしないうちに新しいモデムが届いた。相方が買ったらしかった。その対応の素早さからして、わたしが言った「うちのインターネット、どうにかならないかな?」が、彼には自分に対する非難に聞こえたのかもしれないと感じた。わたしは何とかしたいけど、どういう方法があるのかなって話をすることから始めるのでもよかったのに。「(ネット環境のおかげで)ぜんぜん仕事がはかどらない」というわたしの愚痴は、彼にとっては責められているみたいに聞こえたのかもしれない。それについては悪かったなぁとちょっと思うけど、けっこうな勢いで言ってみたことは結果として良かったとも思った。わたしが苛立った勢いのまま愚痴らなければ、相方がこんなに早く具体的な改善策を行動に移すことはなかっただろう。
「気になるけれど(ベストとは思っていないけれど)、何も手を打たずに惰性で続いていくこと」は無意識でいるとあっというまに身近に溜まる。それが溜まってくると溜まっている状態がデフォルトになるから、溜まっていることにさえ気づかなくなる。気づかないのに、溜まっていることには変わりないから、「なんか、つらい、楽しくない、苦しい」ということになりうる。そうなると、「つらい」「楽しくない」「苦しい」の原因を、わかりやすい物事に押し込めようとする。たとえば、「会社がこんなんだから仕方ない」とかね。でも、それって、会社を変えても仕事を変えても、たぶん続く。だから、個人的には会社を変えるとかそんな大きなことよりも、「本当は満足していないけれど、まあこんなもんかなと思ってやっている」小さなことを見つけ出して、それに対して手を打つ、ってことをやってみることをすすめたい。
「手を打つ」って言うと、何か大きなことしなきゃいけないような印象があるけれど、単純に「言ってみる」というだけでも十分に手を打つ、です。じつは嫌と思っていると言ってみるとか。言ってみたところで状況は変わらないこともあるけれど、溜めてたものを吐き出したぶんの風穴ができる。風穴ができると、他にも溜めているものごとがないか、ちょっと見やすくなる。それが変化のはじまり。風穴はたとえば、今、履いているパンツがじつは好きじゃないから買い替えるとか、そんなところから開くのだ。