09.23.2020 今日のつぶき

毎日の中で、心の奥に隠れている小さな自分の願望をいちいち聞いて、聞いたら叶えるために行動する、ということを繰り返すようになって数年。わかったことは、これまで、どんだけ他人にしてもらおうとしていたか、ということだ。もちろんそんな自覚はなかった。どちらかというと自分は人に頼らない方でもあった。けれど、実際に人に頼ることはしないくせに、人任せだったのだと、今になるとわかる。
例えば、この1週間、サーフィンしたり、仕事したり、いつもと変わらず忙しく過ごしているのだけど、私の心の奥が「なんかつまんないなぁ」と言い出した。で、昔だったら、その後に続く言葉は「なんか楽しいことないかなぁ」であった。でも、今は、「じゃあ、何をしたら、私、つまらなくなくなる(楽しくなる)?」である。そして出てきたのが、「●●(レストラン名)に食べに行く」。
このアイデアが出てきた瞬間はときめく。でも勝負はその後です。5秒すると出てくるんです、「えー、でも、夕方二人とも外に行っちゃうと犬の散歩ができないよね、どうしよう…ああ、なんか面倒臭い」「そもそも明日の朝、私、サーフィン行きたいよね? 夜、外食すると朝の早起きがつらいよね…ああ、そこまでして食べに行かなくてもいいかも」。しかし、今の私は、もう騙されない(笑)。行きたいから行く。
本当に、そんな、アホみたいに小さなことなんですよ。それの積み重ね。でも、自分から出てきた「したい」を、するのと、しないのとでは、雲泥の差っていうくらい幸せを感じる力に差が生まれる。レストランの例でいうと、実際にレストランに行くということだけが「行動」するということではなくて、じゃあ、レストランが何時までやっているか調べるとか、相方に案だけでも提案してみるとか、それも立派な行動。行動した上で、やっぱり行かなくていいやって思ったら、それもそれ。
それができるようになって気が付いたんだけど、亡くなった夫はその達人であった。楽しいことがなければ自分で作り出す、そしてそれを実行する。私は、彼と一緒にいたおかげで、彼が楽しいことを考え出して実行してくれるその状況に便乗できていた。おかげで、自分のそばには、そういう風に楽しいことを提案して実践してくれる人が必要だなんて思ってた。これですよ、人任せ。その発想が人任せであるっていう自覚さえなかった。なんなら「私は発想力もないし、行動力もないから」なんて自分のこと決めつけてた。未来の私から伝えたい、みくびってもらっちゃ困るぜ。
彼が亡くなり、会えなくなって、8年。彼は私のものすごい憧れの人だったのだけど、それはつまり私が彼のようになりたかったということでもあったのだ。もっと言えば、彼の持っている要素を、私も持っているはずだから、それを引き出したかったんだね。皮肉だけど、彼がずっとそばにいたら、いつまでも彼に便乗できていたろうから、ずっと気づかずに人任せに生きて、でも何かが足りないような満たされないような気持ちを抱え続けていたんだろう。
しかし、まあ、つくづく、亡くなった夫は、出会えたことはもちろん、亡くなってしまったことも含めて、私の人生に本当にたくさんの大きなものをもたらしてくれた人だ。ソウルメイトと心から思ってる。今も。ありがとうね。