手入れされたスペース

今住んでいる家は、相方が15年以上も前に中古で買った一軒家だ。現時点でも整理整頓されているとはとても言えないが、私が越してきた時は全ての部屋が倉庫みたいな状態だったので、リビングやキッチン、客室と少なくとも3つの部屋が片付いた今は以前よりだいぶマシである。それでも、私の理想からは程遠い。
理想からは程遠いのに、なかなか整理整頓が進まないのは、どういう家にしたいか、どういう部屋にしたいかのイメージがなかなか具体的にならなかったからでもある。というのも、私はボホシックみたいなインテリアも好きだし、モダンな和風も好きだし、ビーチハウスのようなカリフォルニアスタイルも好きだし…と、好みが分散されていて、どんなスタイルにしたいか、絞りきれなかったのだ。例えば、ベッドカバーひとつにしても、ボホシック的なものを買ってしまってから、やっぱりもっとビーチハウス風にしたかったと方向転換をすることになったらもったいないことをしてしまう。スタイルを決めかねているので家具も雑貨もどうも手が出ず、結果、放置している、もしくは必要な場合は仮のもので我慢しているという状態であった。
ところが、最近、「北欧 暮らしの道具店」のYouTubeチャンネルの存在を知った。アメリカに来る前、前の夫(死別)と湘南で暮らしていた頃は、こんな暮らしを目指していたと思い出して、懐かしい気持ちにもなって、これまで上がっている動画を見まくった。登場しているみなさんの家はとても素敵なので参考にしたいという気持ちもあって見たわけだが、置かれている家具や使っている食器などは何風と必ずしも統一されていないことが多かった。そして、私は気づいた。
私が理想としている部屋、家とは、「手入れされたスペース」なんだと。
ボホシックとか和風とか、ビーチハウスとか、スタイルというのはアウトプットであって、たぶん、目指して作るものではない。少なくとも私は、スタイルを作りたいわけじゃなくて、「手入れされたスペース」を作りたいのだとわかったのである。だから、「XXスタイル」というのがなかなか決まらなかったわけだ。
手入れされたスペースということは、手入れしなきゃいけないってことで、言葉通りに捉えると、「でも、仕事も忙しいし、そんなに手入れする時間なんてないよ」って思っちゃいそうだけど、言葉の奥深くまで考えてみると、「手入れして使いたくなるような物だけに囲まれたスペース」なんである。本当に気に入った、使い続けたくなる、質の良い物を買う。そうしたら、自然と大切に使うはずなのだ。ズボラでガサツで横着な私だって、自分で買ったカスタムシェイプのサーフボードは丁寧に大切に手入れしているもの。そういうことだ。
そうして、長らく続いた私のインテリア改造計画停滞に終止符が打たれた。本当に気に入った、使い続けたくなる、質の良い物という観点で家具や雑貨を選んでそろえていけばいい。言葉にすると「なんでそんな簡単なことがわからなかったの」と思うのはいつものことだけど。そのアウトプット(結果)として、我が家はビーチハウスになるかもしれないし、ボホシックになるかもしれないし、モダン和風になるかもしれないし、一言では言えない雑多な空間になるかもしれない。でも、私の本当に気に入ったものだけだから、それは私のスタイルってことでいい。あ。相方がいるので、「私の」ではなく「私たちの」ということは気をつけよう。
思えば、もっと若い頃は、仕事において、常に「私らしいって何だろう?」と悩み、私らしさをなんとかスタイルとして定義しようとし、躍起になっていた。でも、私らしさって作り出すものじゃなくて、自分の「好き」に「敏感に」、そして「忠実に」、「正直に」ある、その積み重ねで出てくるものなのだと大人になってから気づいた。インテリアもそれと同じであった。