嫌よ嫌よも好きのうち

インタビュー取材は好きじゃないとずっと思ってきた。いや、いまも、そんなに好きじゃないかもしれない。インタビュー原稿の場合、データなどを集めて記事を書いたり、自分の体験を原稿にしたりするのと違って、事前にそれなりにリサーチをしていかないとインタビュー時に核心に触れるような話がなかなか聞き出せない。なので、準備に時間がかかる。また、わたしの場合は文字起こし(インタビューの音声をそのまんまテキストとして書き出す)を必ずするので、それにも時間がかかる(だいたい取材時間の1.5倍の時間がいる)。原稿を書くときは自分の感じたことと読者の求めることという2つの接点を探すだけじゃなく、インタビューを受けてくれたインタビュイーの伝えたいことという視点が加わるのでより難易度が高くなり、そこにも時間がかかる。だけど、生み出せたときの喜びはかけた時間と労力を上回る。よって、嫌だ嫌だ、だけど、好きだ、ってことなんだと思う。

特に好きなのは、市井の人のインタビュー。世間的には有名じゃない、ともすればビジネスをしているわけでもない、昔のわたしなら「フツーの主婦」とひとくくりにしてしまいそうな人たちも聞けばいろんな人生ドラマがある。無名か有名かだけの違いで、平凡な人なんてたぶんいないんだと思う。以前、詩人の伊藤比呂美さんにインタビューさせていただいたとき、「(人生相談の回答者になることで)いろんな人生を一緒に生きさせてもらったような気がした」というようなことをおっしゃっていたが、インタビューも似ていると思った。いろんな人のインタビューをさせてもらい、それを原稿にすることで、いろんな人生をわたしも疑似体験しているような気がする。

もともと、以前から、わたしはインタビュー原稿はよく人に褒められたんである。インタビュイーからも編集者からも読者からも。だけど、自分ではインタビュー原稿は嫌だったんである。わたしは書きたいことがいっぱいあるので、人の言いたいことを書くために時間と労力をそこまでかけられないなどと傲慢にも思っていたのだ。だけど、最近は、その人の言いたいことを、だけどその人自身が言葉にはできないことを、わたしを通して世の中に伝えることができるならぜひ使ってほしいと思うようになった。それが自分が世の中に貢献できる手段のひとつなのだと。

というわけで、わたしはこのライターという仕事がたぶんやっぱり天職なんじゃないかと、40代も半ばになってようやく納得しているのだが、それでも明日インタビューがあるとなると、やっぱりわたしは、そわそわして、あー、緊張するな、あー、まだリサーチしきれていないことがあるな、あー、これだからインタビューは嫌なんだよな、と思うのだと思う。

なんだか、サーフィンと似ている。寒い寒い冬の朝、ひー、寒いな、嫌だな、なんでこんなことするのかな、しなくてもいいんじゃないかなと散々自問自答するけれど、いい波に乗れたときの1本の快感がどれだけの幸せエネルギーをくれるか知っているから、結局、がんばって行く。それと同じで、これだと思える原稿が書けて世の中に出せたときの喜びを知っているから、嫌だ嫌だ、プレッシャーだと言いながら、でもやっぱりやるのだ。

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