あの日の富士山

Facebookで8年前の今日の写真が上がってきた。この富士山の写真がそれ。夫が亡くなって9カ月後。当時、山梨県には夫が買った小さな土地があって、我々はそこにツリーハウスを建てようとしていた。そのために夫の生前には二人でよく訪れていた土地に、わたしは何を思ったかこのとき一人で行ったのだった。
この写真を撮ったとき、どんなに胸が痛かったか、わたしはいまもありありと思い出せる(それは本当に物理的に痛む胸の痛さだった)。けれど、それは、あくまでも「思い出せる」だけであって、あのときと同じように息をすることが苦しいほど胸が痛くなるわけではない。昔に見た映画を思い出して、あの映画は本当に悲しかったなぁと、振り返るような感覚で、映画を初めて見たときのその悲しさは良くも悪くももう再現できないのだ。
富士山が見えるこの土地には、夫が生きているときは車で通っていたが、夫が亡くなった直後のこのときは、たしか高速バスを利用した。紅葉の時期で、高速バスには紅葉狩りに出掛けるであろう家族連れやカップルがたくさんいて、自分だけ場違いな気がした。同じ空間にいるのに、みんなと一緒の世界に生きている気が、全然しなかった。
一人でバスに乗っていたわたしの隣には、ほどなくして、同じように一人で乗ってきた60代くらいの女性が座った。その人は、わたしを見て、どなたかお知り合いの家に行くのか、というようなことを聞いてきたと記憶している。わたしがなんと答えたかは覚えていないが、きっとあたりさわりのない回答をしたはずだ。彼女は「わたしは、法事に行くんですよ」と教えてくれた。それで、わたしは、この紅葉の時期に高速バスに乗るのはうきうきと楽しいレジャー目的の人たちばかりではないんだと気づかされて、自分だけがさみしくてつらいという自己憐憫からちょっと解放されたことを覚えている。
それにしても、なぜ、二人の思い出が深い場所に、一人で行くなどという自分で自分をいじめる行為をしたのだろうか。今となっては謎である。この数年後にわたしは海外逃亡をして、夫との思い出がつまった場所からは距離を取りまくってずっと見ないふりをしている。山梨にまた行きたいかというと、行きたいと思えない。二人が働いた恵比寿、住んでいた中目黒や祐天寺はどっちかっていうともうわざわざ行きたくない。思い出すだけで胸がつまるので、もう一生行かなくてもいいかもと思う。
ただ、同じように夫との思い出がいっぱいある藤沢、鵠沼については、そこに行きたくないと思うほどの抵抗はまったくない。思うに、藤沢、鵠沼には家があって、階下に住んでいる義理のお父さんや犬もいて、夫が亡くなってからの自分一人の思い出もある場所だからじゃないかな。そこに行くことによって思い出されるのは夫との思い出ばかりではないのが救いになっているんだろう。
わたしは死別の喪失から8年かけて人生を再構築した。いまはもう昔のように胸が痛むことはもうない。けれど、喪失のつらさを乗り越えたかというと、乗り越えていない気がするといつも思う。思い出のある場所にはやっぱりいまも行きたくないから。これもいつも書いていることだけど、わたしはただ共存できるようになっただけなんだと思う。悲しかったりつらかったりすることは抱えつつも、そこをわざわざ見ないで楽しいことや面白いことを見られるようになっただけだと。だけど、それでいいのだと。