「成長」のイメージを変える

「成長」というとき、わたしは身長が伸びるように、上に向かって伸びるイメージを持っていた気がする。もちろん捉え方は自由なので、それでもいいのだと思うが、縦に伸びるイメージを持っていると、はまりやすい落とし穴があると気づいた。
Aができていて、Bもできるようになりたいと思い、Bができるようになったとき、それを縦に伸びるイメージで「成長」と捉えると、「Bができることがすごい」となりがちだ。これによる落とし穴は、BがAより上と思ってしまうこと。そうすると、すでにBができている人はすごい(自分より上の)人と思ってしまったりもする。でも、実際には違う。もうすでにBができている人は、もしかしたらAができないかもしれない。とするとBができているその人にとっては、もうわたしにはできているAができるようになることが成長だったりする。まとめると、要は一人一人違うってことで、そうやって一言でまとめてしまうと当たり前のことすぎるんだけど、成長を上に伸びる線と捉えると、気づかないうちに上下で見るという落とし穴にはまってしまいそうだからイメージを変えたほうがよいというのが今回の発見であった。
じゃあ、成長ってどんなイメージなのか。わたしは、「拡大」と捉えるのがいいと思った。自分がどれだけ拡大するか。Aができていた自分にBという要素も加わったらそれは拡大だ。Bができていた人がAもできるようになった、それも拡大である。AもBもできないし、興味もないという人がCとDとFを身につけたら、それもまた拡大で、成長である。
私は、やりたいことがたくさんあるのだけど、自分がこの人生でできうる最大限の拡大をしておきたい、というのが一番やりたいこととでもある。そうなると、何を成し遂げるかにはそこまで固執しなくなり、成し遂げる途中の全てが自分の成長になると思えて、結果、成し遂げるか否か以上に取り組むこと自体が楽しくなった。かと言って、成し遂げたいものがいらないというわけじゃない。何かを「やりたい」という思いがあって、初めて新しいことや未知のことに向き合えたりするので。
たかがイメージ、されどイメージ。「人はそれぞれ」「上も下もない」というようなことは知識としてはずっと前から持っていたけれど、自分の思うこと、行動すること、体験した出来事、全ては、上下左右というリニアな線ではなく、自分を中心にした円(球)を広げていくものだとイメージできるようになると、自然と「どっちの方が良い」とか「どっちが上だ」という良し悪しの二極が消える。その結果、失敗さえも「この経験で自分は今日もちょっと拡大したな、よしよし」と心底思える、脳みそお花畑のポジティブな日々が待っていた。自分が体験してとてもよかったので、「あ、なんか、言わんとすることわかる」と思ってもらえる人は、ちょっと試してみてください。