ギルバート・ロス

Netflixの『Anne with an E(アンという名の少女)』を怒涛の勢いで見終えた。
じつはこのドラマ、数年前にすでに終了しているのだが、わたしはそういった前知識なく見始めて止まらなくなってしまったので、「このハマりようでは睡眠時間が削られて日常生活に支障がある、はていつまで続くのだろう?」とちょっと不安を感じていた。しかし、シーズン3のエピソード10で終わったので、日常生活に支障があったのは実質、数日で済んでほっとしている。
まあ、本来は続きがある予定だったのに打ち切りになって終了したために(後から得た知識)、いくつかの伏線が張られた物語については未完という中途半端さはあるのだが。でも、わたしはアンとギルバートが無事に互いの好意を確認できたらそれで十分。ネットで見るとファンは続きを待ち望んでいるようだけど、わたしはほんと日常生活に支障が出ていたので、もうこれでいい。むしろ、これで終わりがいい。
それにしても。こんなにもテレビドラマに熱中したのは、かなり久しぶりである。亡くなった前の夫と暮らしはじめてからほとんどテレビを見なくなったので、じつを言うと半沢直樹もあんまり見ていない。めちゃくちゃハマったと記憶にある最後のドラマは一番最初のシーズン、2008年の「コード・ブルー〜ドクターヘリ緊急救命〜」であるから、12年前ってことになる。ひー。
亡夫と暮らし始めてドラマを見なくなったのは年齢のせいもあるし、サーフィンという他の楽しみを見つけたせいでもある。でも、いま、振り返ると、当時、亡夫の病気はもうわかっていた、闘病中であった、ということも大きかった気がする。好きな人の死が近い状況にあるとき、当たり前だけどそっちのほうがリアルだし、そこに心と体のパワーを相当使っている。そんな状況では、人生の本筋でないフィクションなどでわざわざあえて感情を揺さぶりたいような気持ちにならなくて当然である。たぶん何度かは何か見たのだろうが、架空の物語だと思ったら白けてしまって入り込めなかった気がする。
前夫が亡くなると、わたしはドラマや映画だけでなく、これまでつらいときにはいつも逃避行して慰められていた小説にも手を出さなくなった。ずっと大事にしていた村上春樹さんの作品をほぼすべて一度手放したのもこの時期であった。
小説は渡米してしばらくしてからまた読むようになった。数年前のことだ。映画を見るという行為もここ数年で復活した。そして、ついに今年はテレビドラマというものもわたしの人生に返ってきた。それで、わたしは思ったのである、あ、わたし、ドラマを楽しめるくらい元気になったらしい、と。架空の物語に自分を参加させて笑ったり泣いたりするくらいの余裕ができたってことだ、と。
そんなわけで心を揺さぶられまくり、日常生活の平穏を脅かすくらいにハマった『Anne with an E』が終わってほっとしているんだけど、一方でギルバートに会えなくなってしまってしんみりとギルバート・ロスに陥っているわたくし。そんなふうにドラマの中の、19歳の少年をMissするようになるなんて、どれだけ元気になったんだとうれしく思うが、いや、待て、もしかして、これ、立ち直ったとかではなくて、単に中年女が若いアイドルにハマる心理なんじゃないかとも思い、もう自分は若くないんだなぁということにもしんみりしている(笑)。
まあ、しかし、なにはともあれ、久しぶりに若い頃の甘酸っぱい気持ちを思い出させてもらって、ときめけてよかった。亡くなった夫と結婚する前、すれちがったり、けんかしたり、もう二度と会わないと言いながら考えずにはいられなかったり、そういう若き日の2人のことも思い出せて、よかった。