地に足をつけて遠くを見る

相手という意味でも内容という意味でも気の張るインタビュー取材が1週間のうちに3回、立て続けにあった。想像していた以上に脳は疲れたようで、めでたく3人目のインタビューを終えた昨日の夜は夕ご飯の後、まだ8時というのにカウチでうとうと。相方に促されて2階に上がるも、着替えたり顔を洗ったり歯を磨いたりする気になれず、そのままずるずるとベッドに潜り込み、朝6時30分まで起きなかった(いつもは5時起き)。わたしが寝た後に犬たちや相方がやってきたはずであるがもちろんまったく気づかず。とっても動きにくいストレッチジーンズをはいて寝てしまったというのに一度も起きることなく朝まで寝ていたとはなかなかである。しかし、まだテープを起こし、原稿にするという作業がある。そして締め切りは近い。がんばれ、わたし。
ところで、そんなにもわたしを緊張させた3人の方々は、ビジネスなり教育なり政府関連機関なりでかなりご立派な立場にいらっしゃる方である。かつて慢性的な中二病を患っていたわたしにしてみたら、「権力や制度にとりこまれた旧態依然のダメな大人の代表格」という立場にいるような人たちとも言える。けれど、面白いのは、この3人のみなさんから聞いたこの先の世界ついてのお話が、総じて、「風の時代が来ます。いろいろな価値観が変わります」とそこらじゅうで最近見かけるスピリチュアルな視点で語るこの先の世界とほぼ重なったことだ。ぜんぜん旧態依然じゃない。しかし、トゥーマッチスピリチャルでもない。地に足をつけて、そのうえで、遠くを見ている。道の先を感じている。
彼らが風の時代の話を知っているのか否かはわからない。ただ、言いたいのは、彼らの話は、星が変わるから、というような観点ではなく、いま、仕事をしている現場で、目の前の課題にしっかりと向き合っていく中で、どこに向かうのがよいのだろうと遠くを見る必要性に気づき、試行錯誤しているなかで、自分の考えとして、自分が感じていることとして、出てきた言葉だということ。その、なんと強いことか!
いまのわたしはわかる。現実的に地に足をつけて、その中で、「よりよくあろう」と試行錯誤することでその人の人間力は磨かれると。そして、深みがあり、洞察力がある、人間力のある人こそスピリチュアルな人と言えるのではないかと。山奥にこもって瞑想して修行をするのと、どちらが速いのか、どちらの質が良いのか、そういうのはわからないけれど、とにかく地に足をつけて生きると、人はだんだんスピリチュアルになる。それは、自分が生きてきた経験としてのスピリチュアルだから、知識として語られるスピリチュアルとは密度が違う。
わたしには、長らく、それが足りなかった。生粋のスピッ子なので、知識はいっぱいあるし、いろんな人がいうスピリチャル話もほぼ疑問を持つことなく、ただ「わかる」のだが、その知識を、現実世界でどう応用すればいいかがわからなかった。ハイパーセンシティブな自分には現実世界はいろんな意味でエネルギーが重すぎて、結果、いつも逃げていた。おかげで、ほぼ慢性的な中二病だったわけだが、その自覚もなかった(笑)。アメリカに来てからのこの6年は嫌が応にも地に足をつけるしかなかった。でも、同時に、守られている、ということも信じないとやっていけなかった。まとまらないんだけど、要はわたし、このアメリカ生活で、どうやら中二病を克服したな、ということである。ちょっとさみしいけど、来世に持ち越したくはなかったから、よしとしよう。もう中二病でない自分にはどんな世界が広がるのか、来年がほんと楽しみ。